2013年1月23日水曜日

熱き言葉に冷たい心 (とあるアメリカ人のメッセージ)

今日は、格別に寒い。
 ロンドンでも週末に雪が降ったが、今日はいきなりホール内の暖房が止まった。ボイラーが暖房用の蒸気とシャワー用の温水を供給しているから、止まると洒落にならない。
 とりあえず管理部門にメールを打って見ると、寮の一部の区画の問題と認識していたが、どうも全体の調子が悪いのでサービスマンを呼び対処する予定とのことであった。ま、ジタバタしても仕方ないので、暖かいうどんなどをすすりながら、フリースなどを着こんで机に向かった。
  
 こちらでは1度のメールくらいでは反応しないこともあるので、コミュニケーションはくどいと思うくらいにしてちょうど良いかもしれない。
 ところが、ホール内有志がシェアしているFacebookのクローズドグループは熱くなっていた、というよりも一人が炎上させていた(苦笑)

このグループ内には管理部門の人間はいないので、書いたからといっても「So what」なのだが、たまたま、エンターテイメントだけを仕切るコミッティの学生代表相手に、寮生の一人(アメリカ人)が「あなたが何とかすべく動くべき」とコメントし、コミッティの代表も「私は、あなたの代理人じゃない。それはあなたが直接、管理部門に抗議すべき内容でしょう」と反論されていた。
 
そこへもってきて、祖先の国旗をFacebookのカバーページに乗せるなどかねてより自己主張が激しい某国系の別のアメリカ人女性が「ここは第三世界じゃない! ありえない」と書き込み始めたので、一気に炎上していた。
ネイティブの書く激しい類の文章のサンプルとしてシェアしておこう。

This is OUTRAGEOUS!!! Needs to be given precedence over anything else, I do not even care if there exist parties or not but no heating is unheard of! This is NOT a THIRD WORLD COUNTRY, in where all types of issues remain unresolved. Please let me know, all I can do to make our voice heard!!! Whomever thinks the contrary should keep their opinions to themselves!
 
 これを見た時、「そりゃまずいだろう」と思ったが、
FB上の画面には次々にマシンガンのごとくメッセージが走る。

 
  
  確かにイギリスは「第三世界」ではない。が、寮のヒーターが壊れていることと「第三世界」の現状は全く関係ない。 例え、そう思ってもまずは冷静に対処するのが肝要なのだが、このアメリカ人女性にはそのそぶりが微塵も見えない。

多くの「第三世界(その多くは発展途上国と呼ばれている)」と名指しされる国からも、留学生が来ているのを全く無視している発言である。

勿論、彼ら彼女たちは自国に帰れば、エリートである。この人たちを不快にさせることに思い至らないのだろうか。
Frankly speaking, AS THEY WANTED ALL THE MONEY FOR THE ENTIRE YEAR, I PERSONALLY HAVE PAID THE WHOLE YEAR. AS A RESULT, I WANT ALL THE SERVICES AND EVERYTHING ELSE PROVIDED WITH THE SAME RESPONSIBILITY.…
THERE ARE INDIVIDUALS WHO CANNOT FUNCTION IN THIS SYSTEM THEY OUGHT TO BE REPLACED WITH AN UNEMPLOYMENT RATE OF 7.9% (last time I checked) I AM SURE THERE COULD BE FOUND IN A HEART BEAT!!! THANKS FOR THE COMPREHENSION, AND THIS ISSUE BETTER BE SOLVED ASAP!!!
THIS IS NOT A JOKE AND IMMATURITY IS NOT ACCEPTABLE!!! GROW UP AND ACT ACCORDINGLY AND YES I DO EXPECT ALL THE SERVICES I AM ENTITLED TO! SO WHOMEVER IS ON THIS COMMITTEE BETTER GET THEIR ACT ALL TOGETHER!!!
こんな感じだ。

 実は書込主の故郷こそヨーロッパの某国(一人あたりのGDPは最低、かつ犯罪ネットワークの中心地のひとつと目されている、長年鎖国を続けていた国)なのだが、そういったことに矛盾を感じずアメリカ人になりきろうとするも故国を忘れられない書込主の矛盾した性格に由来する物なのか、差別主義者なのか、単に身勝手なのか、は判らない。国際関係論を専攻している学生なのだが、アメリカではこういった差別とうけとられかねない発言は容認されるものなのだろうか?
 ともかくも、他国(特に第三世界と名指しされた世界)から来た人間にとっては、何と尊大なアメリカンと映るのだろうな、とも思える。



インドから来た留学生に「私はあなたの言う、第三世界から来ているよ。気持ちはわかるけれども、まずはお茶でも飲んで落ち着いた方がいいわ」と諭されるコメントを書かれていたが、なおも
EXCUSE MY LANGUAGE BUT FRANKLY YOU NEED TO GROW UP! WHO'S THE RESPONSBILE ENTITY FOR THE HALLS HERE BECAUSE AMONGST ANY OTHER PROBLEMS THAT I AM PERSONALLY ENCOUNTERING ALL THE ABOVE WRITTEN MESSAGES WILL BE FORWARDED TO THE CHANCELLOR'S OFFICE! THAT'S ALL, I CANT DEAL WITH IMMATURITY ANY LONGER!
 と自己主張を繰り返す姿に、壊れたレコードプレーヤー、あるいは暴走して止まらなくなったパソコンを見る思いがした(管理部門にこのようにEmailを出したとも書いてあるが、このあとも延々とメッセージは続いていた)。
 これらのメッセージを見るに、どこまでも自分中心主義というか、単純さが垣間見られるのだが、これでもれっきとした大学院生だ(どうやら社会人としての勤務経験はないようだが)。こういった人々が将来のアメリカを担うと思うとちょっと心配になる・・・(彼ら彼女たちからは日本こそ、危ういと反撃されそうだが)
  







 ちなみに大文字で書く場合は、相手の注意を引く事が可能だが、相応にエキサイトしていると認識される可能性があるので、慎重にしたいところだ

 例え同じ英語圏であっても、文化が違う他国に来ているという認識がないのだろう。こんな調子でアメリカがイスラム教徒の地域に行けば、攻撃されても仕方あるまい。と思わせるような激越な文章で、イギリス人とのやり取りではここまでのものは見たことが無かった。

 ちなみに、オックスフォードの英語学校では、くどいほど「丁寧な物言い」を学んだ。植民地経営の産物か、細かい事での衝突を回避し実利を得ようとするイギリスのスタンスも見え隠れしている様にも感じたが、いかがであろうか?
 アメリカで生きていくためにはひょっとするとこの手の話は日常会話の類なのかもしれないが・・・(ご存知の方あったらご教示して頂ければ幸いです)
 Facebookの発言ひとつとっても、その国の国民性がステレオタイプながらも反映されている気がする。少なくとも、良きに付け悪しきにつけ、人々の心の中に刷り込まれていくだろう。

インドの人の落ち着いたコメントに「いいね!」が一番多くついていた。
 筆者はこういった形の激越なやり取りはせず、もう少しスマート、かつスパイスを利かせ、相手を苦笑させつつも納得させるような文章を掛けるように心がけたいと考えた次第だ。
「迷走」して熱くなったら、
このレモンちゃんの様に「瞑想」してくれればよいのだが・・
(写真はレモンを使ったダイエット食品のプロモーションらしい)
もちろん、筆者の目指すところは「熱き心に、クールな頭」。

北国の旅の空」に、密かに誓うのであった。

(2013/1/23記)



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2013年1月11日金曜日

イギリスにおける博物館・趣味関係のソサエティを考える


現地で学校関係以外の人たちと気楽に接点を持つ方法がないかと考えたのが、日本の「何か」を探求している組織に参加する事であった。

イギリスには様々なソサイアティや博物館があり、それぞれが緩やかな連携を取りながら多様な趣味の時間を過ごしているようだ。美術館や一般の博物館(こちらは項を改め考えたい)以外で、今までに訪問して印象残ったのは下記のような専門博物館だ。
ドイツや日本の暗号解読を行っていた場所をそのまま博物館にしたBletchley Park(http://www.bletchleypark.org/)
ドイツが開発した暗号通信用の「エニグマ」
オックスフォードで走っていたバスや製造中止になったMorris carsのコレクションを集めたバス博物館(http://www.oxfordbusmuseum.org.uk/)

バトルオブブリテンで使用した飛行場を博物館に改装したダックスフォード帝国戦争博物館(http://www.iwm.org.uk/visits/iwm-duxford)・・・
ダックスフォードにある飛行可能なB-17爆撃機

ただ展示するのではなく当時のもので今も作動するものを残し、充実させ続けている共通点がある。それらを支えるのは税額控除が可能な寄付であったりボランティアである。

特に印象に残ったのは、バス博物館のボランティアの人たちであった。昔の2階建てバス(いわゆるロンドンバス)で博物館から一般道を走って回るイベント(月一度)では、訪問者だけでなく運転手や車掌も楽しんでいた。バス会社のOBなのかは判らないが、昔風の切符を乗客に渡したり、風景を説明してくれたり・・・特に子供たちに優しく接していたのを見て素晴らしいと感じた。どこか牧歌的なオックスフォードの郊外をバスはトコトコ走っていく中でボランティアの在り方を考えていた。楽しめるから長続きするのであろうと。
保存車両でオックスフォードの郊外を走る

彼らにとって、博物館や美術館は「ハコモノ」ではなく、人々が集い、活動する中心なのだ。建物自体も「建設してハイ終わり」のではなく後から拡張する事を意図して建設されていることが多い。その意味ではディズニーランドの運営方法に相似しているかもしれない。

楽しみながら維持・運営して盛り上げて後世に何かを伝えていくことに意味がある。

 博物館運営に携わるといった本格的な事でなくても、単純に何かを探求している人たちに出会うのは楽しい。
筆者は旅、特に鉄道旅が好きなので、最初、イギリスでドイツの旅や鉄道を趣味として活動している人たちとネット上でコンタクトを取ることにした。その過程でイギリスにある「日本鉄道友の会」が、「12月の総会に参加しないか」と声をかけてくれた(http://www.japaneserailwaysociety.com/)

普段は季報の発行やミーティング、イギリス各地区での鉄道模型運転会を実施しているらしい。日本にも支部があり、メンバーが日本に来たときに乗車企画や博物館訪問等のオフ会を実施している。
Wikipediaによれば「ヨークイギリス国立鉄道博物館(http://www.nrm.org.uk/)新幹線0系電車が展示されるに当たっては、イギリス以外の鉄道車両を展示する必要はないという反対論を押さえて、この会の関係者が展示の実現に貢献している」とのことだ。
鉄道発祥の国で日本の技術が歴史的に評価されること自体に意義があるが、こうした保存活動が日本のロビー活動でなく現地からの盛り上がりに起因していたとすれば日本にとっては有難いことではないだろうか?

驚いたのは、鉄道模型のための集会所がKings Cross駅の傍にあった事だ。鉄道模型のクラブが別にあるらしく、鉄道模型用のレイアウト(走らせる台)も持っていた。そのクラブの創立者の名前が建物に付いていた。鉄道関係のイベント主体で使用されているようだが、管理人らしき人がビールやコーヒーを売ってくれる。
筆者は正直言って鉄道模型には詳しくないが、この地価の高いロンドンでこういった活動が出来る事に感心した。

もっと驚いたことに、鉄道友の会の皆さんは、日本や日本の鉄道の事を良く知っていた。黒部峡谷に走るトロッコ列車のビデオを見ていたり、昔の鉄道雑誌を持ち込んで情報交換などもしている。会員の中には奥様が日本人だったり、日本での居住経験を持つ人もおり、東京はおろか地方都市に精通していたりして此方が驚いた。筆者が知らない事実も多々あり「灯台元暗し」という感じだ。

いずれにせよ実生活と趣味を上手くバランスさせながら生活している英国の人々を垣間見る貴重な経験であった。

なお日本の名誉のために申し添えるが、最近、横浜に世界最大級の日本人のコレクションを展示する私立博物館が開館した(http://www.hara-mrm.com/index.html)とのこと。海外からの訪問客が一人でも増えることを願ってやまない。
旅や鉄道でも無くても、ダンスでも音楽系、サッカー等々、おびただしい量のソサイアティがあると思われるので、そういった接点があると、同年代や同学以外の社会を覗く良いきっかけになると思う。

真面目に道楽を追求すれば、何かが生まれるかもしれない・・・等と不遜な事を考えた年末年始であった。
(2013/1/11記)

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2013年1月4日金曜日

どんなに奪おうとしても頭の中にある「何か」までは奪えない


明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

さて、年頭にあたり、「乱世を生き延びる知恵」について考えてみたい。

 ソ連崩壊直後に、真冬の中東欧を旅した。「卒業旅行」と当時は言っていた。 ヨーロッパ内部でも東西間の経済格差は生々しく「自由無き国家にイノベーション無し」と実感する一方、東側の人々のささやかな生活を垣間見る事ができ貴重な体験であった。

 まだホテルも十分でなく、国際列車が着いたブタペストの駅前には外貨目当ての民宿の客引きがいた。プラハには西側の様な看板は無く、目抜き通りは今のように垢ぬけてはおらず、ホテルのシャワーは水だった。西から東ベルリンに入ると匂いで判った。暖房等に石炭を使っていたからだ。どこの旧共産圏も一様に市電が凍りついた街を走っていた。そしてポツダムには旧ソ連軍が未だ駐留していた。帰る金が無いので、ドイツが仕方なく払ったと聞く。

 西側に戻ってくるとホッとした反面、中欧の街に強烈なノスタルジアを感じた。何故か中欧こそが本物のヨーロッパのような気がした。

 ミュンヘンのユースホステルに泊った時に出会った青年との何気ない会話が、ヨーロッパと一生向き合って勉強していこうと決意させたと思う。

 旅の最後の夜、筆者はウィーンで仲良くなったアメリカ人留学生の女の子と束の間の再会をした昂揚感からか、ついつい門限を忘れていた。ホステルに戻って見ると当然ながら、門扉はがっちりと閉じられていた。インターホンにも応答が無く、途方に暮れていると、ドイツ人の若者がどこからか帰ってきて鍵を開けてくれた。聞けば、兵役の代わりにホステルの夜間受付(ナショナルサービス)をしているとのことであった。
 彼は「寝ずの番」で話し相手が欲しかったようだった。お互いの国の政治、経済、歴史の話を明け方まで語り合った。

 彼は言った。「ドイツは戦争に負け、物的資源や領土を失った。お金や不動産を失ったり奪われる事はこれからもあるだろう。しかしどんなに奪おうとしても頭の中にある『何か』までは奪えない、だから人は学び続けるのではないか」と。 第二次大戦の話になった時のことだった。
 地続きの地における乱世を生きる知恵とはこのことか、と強い感銘を受けた。

 もちろん「何か」が意思、思想、ノウハウ、社会システム、ユートピア・・・・と、様々な解釈が出来る。ユダヤ人の教えにも似たような話があるようだ。

 以来、大陸ヨーロッパの社会や歴史から、彼らの思考スタイルを学んでみようと考えるようになった。

 真夜中に仕事から帰ってきては歴史や社会情勢に関連した読書で夜が更けた。GWや年末年始はヨーロッパを旅行しながら博物館や美術館、戦跡を巡っていた。ところが判らない事が増える一方であった。 

 仕事を通して「組織の在り方」「非常時における意思決定の在り方」といった点についても考えさせられることがあり、そのことも歴史から併せて学ぼうと考え、結局、仕事を辞して、大学院に通うことにした。  

 名前も顔も忘れてしまったが、学び続けるきっかけを作ってくれた、そのドイツ人の青年に今でも心からお礼をしたいという気持ちは変わらない。

 その青年を始め、友人知人、前職の関係者、直接間接に留学を支援して頂いた方々に感謝を申し上げ、年頭に於いてあたらめて精進することを誓いたいと思う。




ロンドンの 元旦は久々の晴れ間






翌朝は朝焼け、8時過ぎないと夜が明けないが、ロンドンのど真ん中で自然を感じる一瞬。





 (2013/1/3記)

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