2014年1月23日木曜日

ウクライナ リヴィウ アルメニア人地区を歩く(ハプスブルグの面影を求めて:その4)


 リヴィウに着いた夜、飛び込みで見た、バレエのプリマドンナの優美さが手伝ったのだろうか、美酒を飲みたかった。 旧ソ連圏なら、グルジアワインとアルメニアン・コニャックがベストチョイスだろう。

 地図を見るとリヴィウにはアルメニア人地区が残っていたので、そのあたりに良いレストランも有るだろうと勘が閃く。

 現在のアルメニア自体は、旧ソ連に属するコーカサスにあるキリスト教国だが、歴史的経緯で多くの民が故国以外で生活する事を余儀なくされた、あるいは積極的に行ってきた民族だ。 オーストリア・ハンガリー二重帝国の東端だったこの街でも、経済上、重要な役割を果たしてきたものと思われる。

 俗説ではあるが、「10人のユダヤ人よりも一人のアルメニア人のほうが怖い」という位、その昔からヨーロッパや中東の経済活動において重要な役割を果たしてきた民族である。

 アルメニアについては古い本だが、佐藤 信夫氏の著作が面白い。
大きめの図書館にはまだあるかもしれない。
 
新アルメニア史―人類の再生と滅亡の地 (泰流選書)  


 修士論文も終わり日本に帰らねばならなかったが、「EUとは何か、同じヨーロッパのはずなのに内外を規定する国境とは何か?」といった問いにはまだ回答が出せておらず、やり続けなければならない。筆者がさまよい続ける原点はここにある。
 
 「陸の国境が有るか無いかの経験」の有無は、その国民性や文化に大きな影響を与えるだろう。 たとえ、企業の経済行動の影響が社会全体に与える影響が日増しに大きくなっていくとしても、「グローバルな無国籍人」が増殖するとは考えにくい。 

 ともかくも、歴史的経緯で、リヴィウの街に、アルメニア人街は残った。アルメニア正教会はシンプルな建物だったが信者以外の立ち入りは許されていないようだ。

アルメニア教会


教会の前庭 左手奥にはキリストの磔の像


 アルメニア人街にあるカフェで夜飯を食べ、締めにアルメニア・コニャックを頂く。 カフェの名前は、その名も「Кілікія」(住所Львів, вул. Вірменська, 13)。 英語で言うCiliciaは歴史的なアルメニア王国が存在した、現在のトルコ南部にある地方名である。 

 ソビエト時代の名残か、旧ソ連各国の食事のメニューが供されていた。 シベリア鉄道でも食したメニューが幾つかあったのでその中から選んでみた。 

Restaurant "Cilicia"

レストラン内

ボルシチ

ポークの玉葱マヨネーズ焼き

アルメニアン・コニャック
 
翌昼、再びアルメニア人街を歩いていたら、結婚式を終えたカップルがあちこちで記念写真を撮っていた。 自分の生まれ育った町の記録を残していくのが習慣なのかもしれない。




ウクライナは、主にウクライナ正教の筈なのだが、アルメニアも正教圏ということでさほど問題にならないのだろうか。 若きカップルたちにとってはどうでもいいことかもしれないが(笑)

(2014/1/23記)

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