2014年3月31日月曜日

育ちが悪い?

オックスフォードの語学学校に行っていた時代に幾つかカルチャーショックを受けた事が有る。

そのひとつに「good behaviour / bad behaviour」であった。

直訳すれば、「行いが良い、悪い」ということになるのだが、

日本語で言う「マナー」という話では無いようなのだ。

英語教材の中の言葉の奥に「階層(class)」が見え隠れしている様な気配を感じた。

特に中東や南米から来ていた学生たちは、金銭的には豊かな社会階層の親の様であった。

特に、父親が運転手付きの車で送迎していたサウジの女学生の事が忘れられない。

今の日本で「格差社会」という言葉は聞くが、「階層」とはっきり言う識者は少ない。

「上流階級」とはいうが「下層階級」と言えば差別になるからだろう。

日本の場合はイギリスよりももう少し複雑で、階層のいかんにかかわらず不道徳な事ばかりしている輩を「育ちが悪い」と断罪する言葉も有った。




「マイルドヤンキー」という言葉があぶり出した日本の階層

という日経ビジネスの記事の中に『情報技術の進歩は、直接には見えていなかったものを「見える化」します。』とあった事は確かに感じる所である。

 凶悪犯罪も昔からあった訳で村の中で起きれば隠ぺいしていたものが公にされ、今はマスコミによってそのニュースが消費されていく。刺激がどんどん強くないと売れないので、ことさらに煽り系の記事が出てくる、と言ったところだろう。

 一定数の人間が犯罪を犯すような資質を持っていたからこそ、宗教や村の掟の縛りが重要だったのだろう。 これから先はどうヘッジしていくのかが課題だ。

2014年3月30日日曜日

台湾に敗戦後に責任を全うする為渡った男の本

秘録・終戦直後の台湾―私の終戦​日記 (1979年) 


2014年3月29日土曜日

ロンドン市長と猪瀬前知事の比較(HP編)

 オリンピックを成功に導いたロンドン市長と、ロンドンオリンピック招致に皇族まで実質的に動員しスピーチさせながら、その後の虚偽事項で公民権停止となり日本の顔に泥をぬった前知事の公式HPを比較して見よう。

彼のブログ風公式ページはシンプルで好感が持てる。


政治的立場には必ずしもボリス支持では無いのだが、彼の自転車交通の取り組みについてはチャレンジでもあり、以前の投稿でも取り上げてきた。

ボリスという名の宣伝塔 (ロンドンの自転車事情) その2

一方、すっかり、過去の人になった感のある猪瀬前知事。
こちらは、自己顕示欲の強さを体現するHPだ

猪瀬氏の全体HP




「釈明会見」のお知らせが申し訳程度に最新情報に
のせてあるが、「率直なお詫び」なのかは見ただけでは判らない。

実際に会見の最後に「許されるなら作家として続けたい」とのたまわっているのだが、彼のホームページには相変わらず都知事時代の写真もカバーページにアップされ、「お詫び」の言葉は本当に小さくニュースリリースされているだけ。

 記者会見のニュースリリース


今は外した様だが「都知事の部屋」「作家の部屋」といったキャプションが写真についていた気もする。

 辞任後もオリンピック招致時の自慢話をHPに掲載し続けている。これが、他人の責任を鋭く追及しまくっていた過去とどう整合するのか。

 政治家としては勿論、ジャーナリスト的作家として如何なものだろうか。

極めて見苦しい

 猪瀬氏の辞任時はさすがにBBCの記事になったがその後はイギリスでは見向きもされていない(3月28日現在)。

辞任時のBBC報道(英語)


 なお、ロンドン市長選の仕組み・経緯については小林恭子氏(在英ジャーナリスト/メディア・アナリスト)に興味深い解説が有った(ロンドン市長選と東京都知事選)。 マスメディアのネガティブキャンペーンによってロンドンオリンピック招致に成功した、リビングストン前市長は2008年選挙に破れたものの2012年の次の選挙に再度挑戦し敗北、政治家業から足を洗うと宣言した由。

 ボリス・ジョンソン出生についての経歴はWikiなどを見ると興味深いが、オスマン帝国末期の内務大臣だったアリ・ケマルの子孫であり、イギリス王室、ユダヤ系の先祖も居り多様性を感じる。多民族国家となったイギリスを象徴するものであろうか。

 オリンピックは多様性と潔いものを象徴するスポーツイベントであってほしい。

 猪瀬氏の往生際の悪さはオリンピックにそぐわない、ゆめゆめ2020年には来賓で来てほしくない人間の一人だ。恐らく押しかけるはずだが。

 イギリスとてチェンバレンの様な無能な首相を選出した。1936年のミュンヘンオリンピックで自国を誇示したヒトラーが1938-9年にチェコスロバキアを併合した際、チェンバレンは融和外交を展開し、結果的に第二次大戦勃発を許した過去も有るのでイギリスとて理想国家では無い。

 無能な為政者を選挙民が選べば、そのツケは選挙民自身が払う事になる。

 為政者となるべき人物を社会が育てる事は本当に難しいと思うこのごろだ。

(2014/03/29記)

海外生活ブログ 海外留学(ヨーロッパ) 

2014年3月28日金曜日

イギリスのお土産対策

一時帰国、友人来訪時に「イギリスのお土産」で困った事はないだろうか?

 はっきり言って「旨いもの無し」「汎用品の品質管理は日本に到底勝てない」というイギリス・・・さてどうするか、これは日ごろから考えていないと難しい。

 筆者としては下記の様なものを用意していた。

(1)食べ物

 ・クランペット(賞味期限や湿度に注意)

 現地ではB&Bの朝飯にたまに出てくるもちもちとしたパンの一種。
はちみつやバターで頂くのが美味。



イギリスに旅行や留学していても食べた事が無い人も居たりする。

スーパーでは6個1ポンド位で売っているので、気に入らなければ鳥の餌に・・・

知る限り、日本では入手しにくい(東京にクランペット専門店が実はある)

保存期間が短いので帰ったらすぐ渡す場合に向いている。

(2)アロマオイル

集中力を高めるもの、気を落ち着かせるものなど
本場ではあるから有名どころで押さえておくのは無難かつリーズナブル。

 ・ニールズヤード (Neal’s Yard) 日本にもある・・・




(3)のど飴系・セルフケア系(医薬品の場合は自己責任で)

イギリスでは多少の風邪であっても医者に行かない(行けない)ので、セルフケアの類のものは色々と充実している。

 ・Strepsils 味のバリエーションが揃っている喉風邪の飴。



タイなどでもバリエーションが色々売っている模様。



沢山あればこんな遊びも・・


(4)スコットランドのカシミアマフラー

 エジンバラで購入したカシミアマフラーは暖かく重宝したのでお土産にしている。デザイン・色柄の好みなどは事前に研究しておく必要は有る。

(5)英語の辞書・教科書

 IELTSのテキストなどはどの道、全て英語なので、重さ制限に引っ掛からないなら後輩には良いプレゼントかも・・・ここまで来ると輸入代行業みたいな感じもするが。







あとは、お茶とかでしょうか・・
 皆さんも「イギリスらしく役に立つお土産」を探してみてください。

(2014/03/28記)

2014年3月21日金曜日

ウクライナ リヴィウ中央駅(ハプスブルグの面影を求めて:その7)

 ハプスブルグの面影を求めて歩いていると、旧市街では町の作りもライフスタイルも、色濃くヨーロッパを感じる。

 市街地の外れに続く路面電車の線路をたどると宮殿の様なものが見えてきた。

大通りとトラムが向かう先は宮殿?

リヴィフ中央駅

 英語版Wikiによれば、アールヌーヴォー調の建築として1904年にオーストリア・ハンガリー帝国時代に建築されたということだ。 

 第二次大戦で被害を受けた後、再建するに当たり「スターリン様式」で復旧すべしという意見も出た。時の設計者は、内装をスターリン様式として外装はオリジナルのもので対処する、という折衷案を提示し、リノベーションが繰り返され今に至っている。

 スターリン時代といえども、完全なロシア化を強行する事はウクライナ民族意識の強い当地では難しかった、という証左なのかもしれない。

ゆったりとした表玄関

彫刻も飾られており、寺院の様な趣?

正面玄関にはアールヌーヴォー調の装飾がある駅名表示があり、華やかな時代を想起させる。

Львівリヴィーウ と書いてある

 暗いが広々とした待合室など構内は、ソビエト時代を想起させるものだった。人がごった返していたので、カメラを取り出すのは憚られた。

 落書きも無く、ホームは日本のものよりも長くすっきりしていた。

ホームにはウッディなキヨスクや電話ボックスが有って、ロシアとの相違を感じる。

キヨスク

ウクライナ鉄道150周年のポスター、電話ボックス

写真をよく見ると、駅のエアコンは富士通製だ。こんな所に食い込んでいるとは知らなかった。というか、日本で富士通製のエアコンは見た事が無いのだが・・・・

一方で、車両はソビエト時代の面影を留めているものばかりだ


西ヨーロッパの標準軌(日本では新幹線)よりも広いので車両の幅も大柄。ただ、トイレは垂れ流しなので、余り近寄りたくない(苦笑)

モスクワ行きの列車

機関車はシベリア鉄道の旅でも見かけたものだった。2M62という重連型で貨物列車を牽引。 日本で言えばDD51という位置付けになる汎用機種だ。

大陸間弾道ミサイル運搬用の派生機種も有ったようだ。

旧ソビエト製のディーゼル機関車

 このまま、どこかの町に汽車旅をしたい衝動をこらえて、駅を出た。

 駅前から町の中心はトラムが走っているが、日本の車両と違い片方にしか運転台が付いていないので、大抵の場合、向きを変えるためのループ線が起終点にある。

駅前のトラムのループ

交通の見張り用建物や後ろにある機関車工場の建物は、ソビエト時代の武骨な建物だ。


 さて、最近のウクライナ事情で色々な方々が論評している。興味深い記事のリンクをいくつか。

欧露の貿易戦争で深い傷を負うのはロシア ウクライナ危機と西欧の苦悩
熊谷徹氏はドイツ在住のジャーナリスト。

混迷極めるウクライナ 「ロシア化」のドミノを恐れる欧米
 コーカサス地域研究家の廣瀬陽子氏がリヴィウ(リヴォフはロシア語読み)について、「西欧に近い」と言及している。現在のウクライナ情勢についてバランス良い論評をしている。


 リヴィウの治安情勢は細かくは判らないが、昨日、リヴィウのオペラハウスとメールのやり取りをする機会が有ったが、様々な政治的動向があっても演目は上演されているようだ。 

 最近、芦田均元外相の『革命前後のロシア (1958年)』という本を読了したが、革命のさなかでもバレエが上演されていた事が言及されていたので、ヨーロッパ社会とはこういうものなのか、と改めて実感する。

   きっかけになった書評はForesight誌の2005年に掲載された「若き外交官補・芦田均による驚くべき記録と洞察」。

 堅いエピソードも色々あるが、観劇の感想や市民生活、独身30歳の彼がロシア女性に言い寄られる描写などもさりげなく盛り込まれており、革命末期の混沌とした世情を生き生きと描いている。 外交官というよりも好奇心旺盛な青年作家という趣きだ。

 ロシア人気質、というものを知るには良い一冊という印象を持った。大学の閉架図書に眠っているかもしれない。興味ある向きには一読を勧める。

 クリミアで今起こっている事は、北方領土や尖閣列島と密接に関わってくるので注視が必要だ。もっと言えば、「沖縄が独立主張」という事態が近未来に起こった場合のアナロジーになるかもしれない。

 リヴィフを訪れたのは、ハプスブルグの面影をたどったり、ウクライナ民族主義の震源地であることを知りたかった為だったのだが、数か月で様々な景色が変わっていく。

 国際協調の時代から、オセロの様にように国境がひっくり返る「なんでもあり」の世界に向かっている時こそ、過去の事象や教訓を認識する必要が高まってくる。

(2014/03/21記)

2014年3月14日金曜日

論文盗用チェック(イギリス編)

 「盗用」・・・学部時代に論文を書いた事が無い場合は、大学を卒業していてもその意味が判らない可能性が有る。「コピペ」すればいいんだ、という意識で居ると、イギリス(恐らく英語圏全体)ではかなり不味い状況になる。 コピー天国の隣国たちを笑っている場合では無い。

 会社員時代にも、人の成果をきちんとした引用なしでコピペして自分のものとして使っていた輩が複数いたのを覚えている。 筆者の名前の所だけ消してあるのは序の口で、『ですます』調に変えたり、フォントを変えたりして印象を変えるとか、その努力は並々ならぬものが有った。

 バブル期の大学の中には、「コピペできてナンボのモノ」と豪語している輩も多かったが、昨今、メディアを賑わせている産業スパイよりおめでたい。公言してやる類のものではない筈なのだが。

昨今も、こんな記事が出ていた・・・・

小保方氏20ページすべて「コピペ」? 博士論文でこんなことありえるのか

以前に下の記事で、盗用に関する意識の差を書いたが・・・

参考記事:再利用しにくい日本語の論文PDFとプレージャリズム(盗用)の件

 20ページのコピペを見抜けなかったのは、査読する側の力量というよりは、単にチェックする仕組みが無いだけだろう。 査読する人間が、その領域に詳しいからと言って論文を一つ一つ照らし合わせることなど、物理的に不可能だ。

 ちなみに自分の過去の論文を引用する際には、やはり「自分の論文」からの「出典」であることを明記しなければならない。このルールを守っていない点も今回の騒動で指摘されているようだ。

 イギリスでは全部はチェックできない代わりに、盗用が見つかった場合は、学者として生きていく事を断たれるシステムになっている。

 ヨーロッパの列車の検札と同じで、抜き打ちの厳しい検査で、見つかれば懲罰が待っている。 見つからずにやるのも各個人の決断、という突き放したものである。 日本の様に微温的な対応は無い。

 そのためか、イギリスの大学の留学生相手にあるオリエンテーションの最初は「引用」のルールと「盗用」に対するペナルティのガイダンスで、折に触れ繰り返し行われる。

では実務的には、いったいどのようにチェックするのか? 

イギリスでは、最低限、修士論文をパスするためには社会科学系・人文科学系では下記のチェックが有る。

1.学内データベース・専用データベースに論文をアップロード

赤字内は本文の類似可能性を示す%表示  


2.論文類似チェック(Turnitin.)ソフトによって、データベースとのマッチングする。

3.2.の結果を踏まえつつ、査読者2名によるチェック

  ソフトで指摘を受けた場所に対して、適切な出典元などの記載ルールにのっとった「引用」かどうかもチェックする

という流れになる。


論文類似チェックの結果はこんな具合。 提出者には開示されない場合も多い 



似たような部分があるとしても、ルールを守って自説補強の為に「引用」されていれば問題ない。査読者は重点チェックをしている。筆者のエッセイも上記の様にチェックが入って「10%類似」と判定が出るので、その個所に「出典」が記載されているかがまずチェックされる。 

英語論文であれば、データベース上に「テキスト付PDF」で幾らでもあるので機械的なチェックは容易と推察される。

日本における課題は日本語論文チェックだろう。

元の文章がテキストベースでデータベース・インターネット上にのせられていないと難しい。 単に「画像としてのPDF」ファイルの場合が有るので、テキストマッチングが出来ない。日本語論文の多くは、「コピペ」を防止するためなのか「テキスト付PDF」でアップロードされていないのが現状だ。 

皮肉な話ではあるが、英語圏のデータベースにアップロードされているものは、「テキスト付PDF」が多い。「正しい引用」をしてもらう事で、その論文の価値が上がっていくと考えられているからだろう。

「巨人の肩に乗って」という言葉が示す通り、過去の発想の積み重ねの中から新しい知が生まれるという意味で「敬意」の発想でもあるかもしれない。「引用」に対する発想の違いなのかもしれない。

「シュウカツのエントリーシート(ES)をコピペでやるのが王道」とせざろう得ないような状況だと、この手の倫理観は養いにくいのかもしれないが。

 各種の大学(院)進学準備コースでもこのガイダンスは行われる。日本国内でも進学準備コースがあるが、このガイダンスを詳細に出来ない講師が居るなら、即座に疑うべきだ。怪しい金儲けの類かもしれない。

国内某社の準備コースで「引用」をきちんと教えられないイギリス人講師が居たので要注意だ。

これからイギリスで論文を書く諸兄諸姉に置かれては、適切な「引用」を心がけて下さい。

(2014/03/14記)

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2014年3月9日日曜日

留学準備(リスク管理感度を上げる)

楽しい留学や旅を夢見ている人々も多いと思う。

でも、そのリスクは確実に有る。

著者の行ったウクライナも今では欧州の火薬庫になりつつある。たった数か月前(2013/10)は平穏だったのだがリヴィウでも市庁舎が野党側に占拠されたりもした・・・。 ホテルやインフォメーションは英語が使えたが、駅ではスリが狙ってくるなど、勘が重要な局面は何度も有った。

平穏なリヴィフ市庁舎付近(2013/10)

危機感を煽る訳ではないが、楽しさとリスク管理のバランスは重要だ。


自分の知る限りでも、

 ・語学学校時代の友人(東アジアの某国出身)は、傷害保険に入っていなかった。学生寮のパーティー中に割れた瓶で手を大けがしても病院に行けなかった。 その後、スペイン旅行中に身ぐるみを剥がされ、やむなく大使館に保護を求めた。

 ・社会人時代に弾丸旅行で出かけたフランスの大西洋側の小さな町で高熱が出た。クレジットカードの保険を活用し、パリの提携先病院でキャッシュレス診察を受ける事が出来た。
 但し、意識がもうろうとする中、英語が通じない環境で何とかTGVに乗ってパリまで戻る強行軍を強いられた。 日本語が出来る医師は居なかったが、英語で自分の状況を説明し処方箋をもらって抗生物質を入手し熱を下げ帰国(これは自分自身)。

 ・オックスフォード語学留学している際、オックスフォード市内の工業地帯(BMWミニの工場が有る)で黒人の暴動があり、幾つかの店舗が襲撃にあう。 

 
といったようにリスクとは無縁でなかった。

途上国への留学・インターンや海外勤務ともなれば、極端な話、反政府ゲリラに抑留されることだってあるのだ。

まず、外務省の海外安全ホームページ、現地大使館(イギリスはこちら)のホームページを定期的に見ておくのがよい。

また、日ごろからのリスクへの感度を上げる事が重要だ。

特に社会人経験が無い場合は、親世代が読んでいるあろう記事をチェックしておくのも有効だ。

日経BP社のポータル 「SAFETY JAPAN セレクション」はお勧め。

リスク管理感覚を養う意味でざっと見ておくとよいだろう。

 自分の立場だけでなく、親の立場からも考えておく事は、10年先、20年先に自分が親になった時のシュミレーションにもなる。 またストーカー被害等を防止する意味でも参考になる。

さらに、留学や海外旅行が具体化したら、最低限、以下の4つは実施しておく

・旅行保険の付保(長期の場合は予定よりも少し長めに)、短期の場合、クレジットカード付帯保険も検討にいれるべきだが、期間・制約条件は要確認。

・滞在国の大使館・領事館の連絡先や位置の確認

・クレジットカードや重要な番号の一覧表を作り、留守宅にも置いておく

・外務省の海外安全ホームページで滞在先を確認、現地大使館のメルマガを登録しておくとよい。


緊急時の表現は各国版の「旅の指さし会話帳」が便利だ。ロシアに行った時は日常でも英語が通じないので重宝した。




皆さんの安全を心より祈願しています。

(2014/03/09記)

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2014年3月2日日曜日

ウクライナ レジスタンスの光と影(ハプスブルグの面影を求めて:その6)

 リヴィウを訪問した目的の一つは、リヴィウが第二次大戦後も反ソ反独の独立派勢力(ウクライナ蜂起軍)の根拠地の一つであり、今、この地でウクライナ蜂起軍がどのように位置づけられているのかをこの目で見たかったからである。 ここは1945年迄、ロシア(ソ連)の歴史的な領土になった事が無いエリアだ。 

歴史博物館「解放の苦闘」分館 

 第二次大戦後、旧ポーランド領だったリヴィウはウクライナ=ソビエト共和国の一部となる。 そして、ウクライナ蜂起軍のリーダーであったRoman Shukhevychは、1950年にリボフで戦死している。 
 そのためか、この街には、今回訪れた歴史博物館「解放の苦闘」分館 (23-a Lysenka St.) だけでなく、指導者のRoman Shukhevychを記念するMuseum of General-Lieutenant of the UIA Roman Shukhevychの二つの展示がある。

 

歴史博物館「解放の苦闘」分館 

なぜ、この地に反ソ反独の気風が養われたのであろうか? ウクライナのおかれた歴史にある。

 ウクライナは現在では人口45百万人(世界27位)の比較的大きな国家であるが、13世紀のモンゴル侵攻以降、独自の国家を持たず近隣諸国の支配を受け続けてきた。カナダなど海外にいるウクライナ系移民も多い。
 
 大学院の寮で一緒だった、ウクライナ系カナダ人の留学生がウクライナの国章をペンダントに付けていたのを思い出す。彼女は自分のアイデンティティをウクライナに置いているから、と説明してくれた。 佐藤優氏によれば、カナダで3番目に話されている言語はウクライナ語だという。  

 ヨーロッパの穀倉地帯でもあり、天然の要害が無い。美女も多いが故に常に大国の狙う所となったのであろうか。

 ウクライナは、ロシアでの1917年革命以降、独立運動とソビエト化の流れが複雑に絡み合い、最終的にソビエトの一構成国になるのだが、 特にスターリン時代に、ウクライナの人口を減らす事と外貨稼ぎの一石二鳥を狙うため、「ホロドモール(穀物の強制輸出による人口的飢餓や強制移住)」が行われ、数百万~一千数万人の人々が亡くなっている。

 このような状況下、各国の境界に位置していた西ウクライナを背景に様々な政治活動が繰り広げられた。

1939年にチェコスロバキアから独立したカルパート・ウクライナの展示

 カルパート・ウクライナはチェコスロバキアが消滅する前に一部地域が独立したものだ。が、直後、ハンガリーにより併合されてしまう。戦後はソ連庇護のもと再独立。最終的にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の一部となる。


ウクライナ義勇兵からなる第14武装親衛隊 武装擲弾兵師団 
ガリーツィエン(ウクライナ第1)の師団章が左腕にある。


ナチスドイツの軍服を着たウクライナ兵(師団章で判る)

 その後、第二次大戦では独ソ戦の主戦場となり、ウクライナ人は、ドイツに協力する勢力、親ソ勢力、ウクライナ蜂起軍の三つ巴状態となり、第二次大戦後も1950年代まで治安が安定しなかった。シベリア送りになった指導者層も多く存在した。

シベリアの収容所の写真や生活の展示も有った


 隣接するポーランド領内もウクライナ蜂起軍の活動拠点であったため、共産政権下のポーランドがせん滅の軍事行動(ヴィスワ作戦)を実施した位に手強いものであった。

ウクライナ蜂起軍のメンバーたち

ウクライナ蜂起軍の拠点・要人等を示した地図。
右上の「赤と黒」は蜂起軍の旗



 このような抵抗運動を多くの日本人は経験していないので、理解しにくい部分も有るが欧州の人々のアイデンティティの中に「レジスタンス」という光と影が色濃く残っている事は見落としてはならないだろう。

現在の国旗と各地のコートオブアームス

ウクライナの歴史については、中公新書の「物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書) 」が判りやすい。 2007年に購入した時から必要に応じて繰り返し読んでいたが、旅行前にも改めて確認の意味で精読。 今回の事態の歴史的背景を理解する上ではお勧めだ。
 

(2014/3/2 記)

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注:この博物館にはウクライナ語でしか展示が無かったので理解に誤りが有る部分が有るかもしれない。誤認識については、ご指摘頂ければ幸いです。