2014年9月19日金曜日

東スロヴァキア今昔(ハプスブルグの面影を求めて:その18)


 東スロヴァキア、この地域の国家帰属や人口構成は複雑だ。19世紀末のアメリカ・ペンシルバニアに大量移民が行われたという事だった。第一次大戦後にオーストリアハンガリー帝国が崩壊する迄、このエリアはハンガリー領だった。チェコスロバキア独立とともにハンガリーから分離、1938年から第二次大戦の間は再びハンガリー領となった。第二次大戦後、ドイツ系とハンガリー系住民は追放され、スロバキア人優位となる。

 島国である時代の長い日本には判りにくい概念だが、旧満州や樺太などでは同じ事が起こっていることは記憶に留めておくべきだろう。

コシチェの目抜き通りはEU補助金で整備された


ウクライナ国旗の配色に似た旗


一方で社会主義時代の名残もそこかしこにある。

 当地で生まれたハンガリー系スロバキア人の労働運動活動家Schönherz, Zoltánが第二次大戦中にブタペストで処刑された事を記したメモリアルプレートがあったりする。

Schönherz, Zoltán のメモリアルプレート

ソ連兵のメモリアルも駅近くに鎮座。

共産時代のメモリアル




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(2014/09/19 記)

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