2014年10月1日水曜日

ハンガリーだったスロヴァキア(ハプスブルグの面影を求めて:その19)


約百年前まで、大部分がハンガリー領だったスロヴァキアには、東部を中心として今なおハンガリー系の人々が住んでいる。ここ、コシチェの街にはハンガリー風の名前を持っていた著名人のレリーフや記念碑がそこかしこにあり、ハンガリー国旗風の飾り付けが記念碑に飾られている。


 このスロバキア第二の都市は、 ハンガリー語でKassa,、ドイツ語ではKaschauと呼ぶという。

  第二次大戦中の共産系反独レジスタンスの契機となった中部スロヴァキアや首都ブラチスラバとも雰囲気が異なる。独立運動と深い略語SNPと言った単語はこの街では目立たない。

テレジアンイエローは中欧のシンボルの一つ

   当地で生まれた作家Márai Sándorの博物館にふらっと入ってみる。知らなかった作家だが、各国語にも訳されていた。世界各国に住みアメリカで一生を終えたが冷戦下のハンガリーでは発禁だったという。

パスポートは何処の国のものだろう?


NAMESTIEは広場の意

韓国語バージョン

   受付嬢がIELTSのテキストを読んでいたので声をかけると、近々イギリスに留学するらしい。幾つかTipsを授けて後にした。

旧市街の表通りは綺麗に整備されている

戦災や経済活動で変容してしまった西ヨーロッパの都市と違い、開発が遅れたが故に古いものが大切に使われている。何だかホッとするのはそのためだろうか。


 テレジアンイエローと秋の空

  ハプスブルグ時代の面影を強調するように、テレジアンイエロー(マリア・テレジア好みの黄色)で彩色された建物が目立つ。

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(2014/10/01記)

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