2014年6月28日土曜日

国境ヒッチハイク in ウクライナ(ハプスブルグの面影を求めて:その14)

同志諸君:くれぐれも平時(2013年10月)の話なのでくれぐれも自己責任で!

踏切の向うは・・・

リヴィウから国境の町までバスで移動。バスターミナルから国境検問所までバスと歩き(来るはずのバスがこなかったが)で何とか国境まで来た・・・・・

 事前情報分析によれば「徒歩」で越えられるはずが、「車のみの国境」だとウクライナの国境警備隊の兄ちゃんがつれない一言。 日本のパスポートを振りかざしてみるが原則は曲げられないらしい。
社会主義チックなモニュメント


さらばウクライナ

 EU圏外から徒歩での国境越えをやってみたかったのと時間節約が出来る筈だったが。。。
 国境警備隊の兄ちゃんにたばこを薦めてみるが駄目だった。 他にも国境付近でウロウロしている同業者(?)の手前、露骨な事は出来ない、ということだろうか。

 西ウクライナからスロヴァキアへの陸路移動は意外に厄介だ。

①鉄道でハンガリー経由の大回り②夜行バスか、ウージュホロドからの国境越えの早朝バス③車のチャーター と言った所だ。

 だからこそ、ウージュホロドを歩きで突破したかった。その素朴な願望は打ち砕かれつつあった。


 その国境警備隊の兄ちゃんが助けてくれ、スロバキアナンバーのバスに便乗できた。人生初体験の国境ヒッチハイクだ・・・・

   自動小銃で武装していた彼が東部ウクライナの騒乱に投入されて居なければいいのだが、と今(2014/6)思う。

バスは「買い物ツアー」の帰りらしかった。

 他にウクライナ人の若者二人も便乗。手ぶらだけれども、何しに行くんだろう?

バスはのろのろと国境の検問所に向かう


バスは検問所へ向かう

すぐにウクライナ側の検問所で出国手続きとなり、パスポートを集めに来た。しばらくして返しに来たのでホッとする。

もつかの間、バスはスロバキア側の国境検問所の手前でUターン停車。乗客は一目散に外に駆け出してゆく。

一体何が起こったのか???

 注意:国際状況が激変しており、同じ手法が取れるか判らない。通常のバスルートを推奨します。情報収集も含め、ウクライナ方面の旅行についてはくれぐれも自己責任でお願いします。

この方は路線バスで国境超えていました。



2014年6月11日水曜日

ウクライナでの抑留日本兵(ハプスブルグの面影を求めて:番外編)



先般、舞鶴の舞鶴引揚記念館を訪問し、悲しく苦しい中にも、一筋の光明を見た元陸軍飛行兵の方による版画を見る機会が有った。

一度見てほしい。 

同盟国だったドイツやハンガリー兵、そして敵国であった筈のソ連の女性兵士への仄かな憧れ・・・

旧ソ連抑留画集

この方は東部ウクライナのスラビヤンスク(Sloviansk)で抑留経験を送っている。やはり抑留されたドイツ軍医に命を助けられたりもしている。

一人の人間として絶望の中でも生き残ってきた方だからこそ書ける姿なのかもしれない。

スラビャンスクの地図

スターリンによる大虐殺が起こったり、多くの人々がシベリアに行かねばならないのか筆者自身も想像が付きにくい位に、ロシアやウクライナの青い空は美しかった。

サンクトペテルスブルグ エルミタージュ美術館の前


Lvivの丘の上

そんなことを考えながら、旧ソ連圏を旅する事が多い

読者の近親者が下記の名簿に居られるかもしれないのでリストを掲げておく。
シベリア・モンゴル抑留時志望者名簿(厚生労働省Web)


先の大戦で祖国のために戦った全ての将兵、そして犠牲者に哀悼の意をささげつつ・・・


(2014/06/11記)



2014年6月5日木曜日

国境の楽園(ハプスブルグの面影を求めて:その1X)

国境警備隊の兄ちゃんがたすけてくれたので、スロバキアナンバーのバスに便乗できた。

   自動小銃で武装していた彼が東部ウクライナの騒乱に投入されて居なければいいのだが、と今(2014/6)思う。

バスは「買い物ツアー」の帰りらしい。

 他にウクライナ人の若者二人も便乗。手ぶらだけれども、何しに行くんだろう?

すぐにウクライナ側の検問所で出国手続きとなり、パスポートを集めに来た。しばらくして返しに来たのでホッとする。



もつかの間、バスはスロバキア側の国境検問所の手前でUターン停車。乗客は一目散に外に駆け出してゆく。

後から調べたらこんなことになっている。