2013年10月30日水曜日

ウクライナの大地に立つ(ハプスブルグの面影を求めて:その1)

 修士論文を書き終え、東へ旅に出た。今回は「国境を考える」ネタ探しだ。ロンドンからミュンヘン、ウィーンを経由して、西ウクライナのリヴィウ(Lviv)を目指した。



 陸続きの大地は、領土を取ったり取られたりの歴史の連続。このリボフは18世紀以降、第一次大戦が終わるまではオーストリア帝国領、ハプスブルグ家が直轄する最東端の戦略上の要地であった。

 その後、独立ウクライナとポーランドの闘争などを経てソ連領となり、第二次大戦中はナチドイツの占領、戦後は再びソ連領と変遷し、ソ連崩壊後、ウクライナとして独立し、今に至る。

 ややこしいことに、歴史的にはゲルマン民族やチェコ人が町作りに深く関わり、ポーランド人が多く住んでいた。

 言ってみれば「ミルフィーユ」の様なもので、重層的な歴史と民族構成を経てきた中欧の最東端の町といえようか。

街の歴史はミルフィーユ、のようなもの?


 経済学でいえばハイエクの師である「ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス」の生誕地だ。

  そして、今、飛行機は、その「ミルフィーユ」の最上部を飛んでいた。飛行機から見える郊外のスターリン様式の団地群、そして 投げやりな耕作地が、ウクライナの第一印象だった。

出来たてのリヴィウ新空港ターミナル


 真新しい空港とは対照的に、入国審査の係官の強い訛、国際線が到着しようとお構い無しに休みの看板を出して札勘している女、スケジュールの書いていないバス停、中東系の白タクの運転手、薄汚れた車、これもヨーロッパなのかと驚く。


時刻表の無いバス停・・・


 どこかアジアの香りがする。

 EURO2012 (UEFAサッカーの欧州選手権)をポーランドと共催したおかげで、空港に新ターミナルを作ったとわかる。なれど、人はすぐに変われない。


警備員たちは長いタバコ休憩・・・



 ドイツ人のビジネスマンが、両替所の女性に「両替しろ」と促す。ユーロとパスポートを渡すと、両替証明書を呉れた。再両替の際、必要との事だ。1UAH(ウクライナ・フリヴニャ)=12円 (2013/10/29現在)だ。



 昔は、外貨流出を防ぐために東欧各国がやっていたが、この類の証明書に久々に出会った。

 空港で交通整理をしていた職員は英語が通じず、時計を見せバス停の看板を指差し「バスはいつ来るのか」とジェスチャーをやってみると、辛うじて、20(twenty)との答えを得る。

バス停にも自家用車が・・・


他の飛行機の乗客はどうしたのだろうか? 地元の人は、車で送り迎えしているが、それにしても空港からバスに乗る客がゼロとは不思議だ。

目の前には、EURO2012の看板が未だに立っている。 

EURO2012 が今でも飾られている


さて、いつバスが来るのだろうか・・・待てどもバスは来ない・・・・(つづく)

(2013/10/30記)

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