2012年12月27日木曜日

留学準備と放送大学の活用


    筆者は遠い昔に経済学部を卒業した。大学院は現代史・政治という領域を違えて進学した。これが比較的容易だったのはイギリスの大学院だからかもしれない。
  推薦状は所属ゼミの後継者の教授と前職の役員にお願いした。 推薦状は最低1通はアカデミックの推薦状が必要とされているので、自分の所属したゼミや学会へのアプローチは継続して行っておいた方がいいと思う。
  英語のブラッシュアップもさることながら、専門領域の準備もしておく必要がある。このあたりは留学準備のエージェントも支援外であろうから、個々のニーズに合わせて戦術を立てておく必要がある。
  
  筆者は準備に放送大学も活用した。ポイントは面接授業と図書や論文(電子図書含む)を低コストで活用できることだ。

面接授業は土日に行われた。千葉(幕張)の本校まで出かけなければならなかったが、遠足気分である。「戦間期のヨーロッパ」「近代ハンガリー史」の2コマを取った。特に前者は国民国家(nation state)形成に関し重要な時期であり、高校レベルの歴史とは違う見方で教えてくれた。
もちろん、国際関係を扱った雑誌記事等も役に立つが、エピソード主体で興味のきっかけや補強材にはなるが、大学レベル以上の知識を得るには役不足だ。

ダイジェストを「判った気」にさせてくれる意味でも、放送大学の面接授業は、安く手頃でお勧めだ。もちろんテーマが自分の興味の範囲外の場合は得るものが少ない。講師の授業進行の巧拙もあるから多少の運も必要だ。いずれにせよ、そこで得た知見・推奨文献が役に立つかもしれない。講師は40代の熱心な方々であり、筆者はラッキーだった。
気をつけなければならないのは、毎期(前後期)で異なるテーマが設定されており、自分が求めているものに出会えるかも運次第の側面があることだ。

本部図書館の蔵書は素晴らしい。ここで借りた本を、大学付属のセミナーハウスに宿泊し徹夜して何冊か読了した。また、各地の学習センターでは、本部図書館だけでなく提携した国内大学の蔵書も取り寄せが可能だ(宅配便代は必要)。
オンラインでは国内大学の蔵書検索だけでなく、Ebookや各種論文も読める。留学するしないに関わらず、何かを研究しようと言うならば、入学する価値があるのではないか。面倒な手続きの要らない聴講制度もあるかもしれないし、その他の色々活用方法があると思われるが、ここでは割愛する。

放送大学に入らないとしても、海外のAmazonで取り寄せるなりして、少なくとも、渡英する前に関心ある分野については数冊の基本書籍を英語で読んでおくことをお勧めする(Web上に各授業のシラバスや参考文献を載せている大学が多い)。 

世間はクリスマスだったが、筆者は黙々と読書。目の下にクマが出来ていた。 気分転換に近くのパディントン(Paddington)駅(中にスーパーも有る)に行ってみると、可愛いクマが居た! 絵本で子供のころ見た「熊のパディントン」はこの駅で発見された由。
エスカレーターの階上にパディントンベアーの専門店も発見。帰国土産にするかな・・・
 
    ちなみに、クリスマス当日は、空港バスとタクシーを除いてすべての交通機関が運休。駅はほぼ無人。

 
    オックスフォードサーカス(Oxford Circus)も車がほとんど走っていない。実にすがすがしい光景である
 
 
最後になりましたが、皆さん良いお年をお迎えください。
(2012/12/27記)

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2012年12月20日木曜日

ラトビア独立記念日祝賀会


      1か月前の1117日、ロンドン(Westminstet Cathedral)で行われたラトビア独立記念日(正式には1118日が記念日)の祝賀会に出席した。
人口2百2十万人のラトビアは、第一次大戦後、ロシア帝国から独立、その後ソ連による併合、第二次大戦においてドイツによる占領、ソ連による再支配、そしてベルリンの壁崩壊後、独立回復という過酷な歴史を経てきた。

ラトビア人の友人が祝賀会に来ないかと誘ってくれた。かねてから外国の独立記念日の祝い方には興味があり、この留学では「お金を払っても出来ない経験」を最優先にして取り組む見地から、渡りに船とばかりに出かけた。

      式典前に到着すると、会場でコーラスの練習をしていた。なんだかアットホームな感じであり、よく見ると友人も動員されていた()

イギリスに住むラトビア人は約4万人(日本人は約6万人)、ロンドンにはそのうち1万人が住んでいるという。2百名程度が参加していた。参加者は4割が60代以上、2割が20代以下と言った構成か。

式は国旗掲揚で始まった。大統領のヴィデオレターが続いて放映される。ロシア語ともドイツ語とも違う響きであるが厳かな雰囲気の挨拶であった。

そして国歌斉唱。初めて聞くが、美しいコーラスは歌の国ラトビアならではのものだろう。
駐英ラトビア大使の短い挨拶が続いた。

次のヨーロッパラトビア協会議長の挨拶は官僚的な長文棒読みで好感が持てず、会場も辟易した雰囲気だった。ヨーロッパでもこんなことがあるのかと逆に新鮮だったりする。

一方でとてもほほえましかったのは、子供たちへの表彰であった。彼ら彼女達もなんだか嬉しそうだ。

そして、続くミニコンサートでは、フルート、バイオリン、ピアノが奏でるラトビア出身の作曲家の作品を堪能した。この方面に明るくないが、調和のとれた演奏に心が癒された気がした。

式典のトリは、コーラスであった。民族衣装を着た男女による伝統的なフォークソングが披露された。地域ごとに曲調が違うようでもあり、無論ドイツやロシア民謡とは全く違うものであった。

式典が終わると、民族衣装を着た人たちはダンスを踊っていた。参加者はワインとおつまみを頂きながら歓談。故あってイギリスに住んでいるラトビア人コミュニティを垣間見て考えさせられるのは、「国家のアイデンティティ」あるいは「国民の定義」とは何であろうと言う事であった。

言語と歌こそが、彼らのアイデンティティの拠り所だろうが、民謡が20万曲もあるのには驚いた。ハンザ都市リガに居たバルト=ドイツ人たちが最初にラトビア民謡について研究を試みた、というのもこの地域の歴史の複雑さを示してる。

日本では「バルト三国」とひとくくりにしてしまいがちだが、各々、歩んできた民族、言語、宗教が異なる。ラトビアは歴史的にドイツ民族と共存してきた時代が長く、一方でロシアに支配を受けてきた。

ロシアとの複雑な関係が故に、旧帝国陸軍はバルト海に面する諸国に注目、対露・対ソという共通の利害を持ち、軍事的協力(主に情報面)を行っていた。ソ連による併合前、「バルト三国」に公使館が設置された理由はここにある(通商関係は殆どなかった)。現在でも各国に大使館を設置している。

      ラトビアを始めとしたバルト三国にソ連軍基地やコンビナートで働いていたロシア人・その子孫の残留問題は各国内での大きな不安要素である。EUNATOに加盟した今でもロシアとの関係は極めてデリケートだ。

一方では、経済進出著しい中国がヨーロッパでの発言力強化のために、「バルト三国」に対し経済協力を始めとして影響力を着々と強めている模様だ。



筆者が2011年8月に首都リガを訪れた際、たまたま、ラトビア軍の記念式典が市内教会で開催されており、各部隊代表が市内を行進していった。式典には米英仏、そして露の駐在武官に加え、人民解放軍の将校の姿もそこにあった。日本国内の混乱をよそに彼の国は着々と各国でのプレゼンスを目に見える形で増やしていると実感した。

      外交は文化・経済だけでない。平時における情報収集・信頼関係醸造のためにも、防衛駐在官(駐在武官)の充実が必要と考える

勿論、戦前の駐独大使(陸軍出身)の様に相手国のプロパガンダを盲信し、国家を窮地に陥れた失敗は繰り返してはならない。いくら頭が良くても語学が出来ても何が出来ても、批判的に物事を見られないとすれば、情報の世界では弊害あるのみである。

常日頃、対立したニュースソースの中から希望的観測を排し現実を直視する事はとても難しい。日本的組織はこの作業が苦手である。なぜなら言霊信仰の国では悲観論は好まれないからだ。

この致命的弱点を中露米英仏は良く知っている。政府・議会・企業とも情報運用する際には肝に銘じて行かねばならないのだが、その覚悟は有るのだろうか。

式典から帰った筆者は苦めのビールを飲み干しながらこんな事を考えていた。

 

苦い話ついでではあるが、ラトビアにも様々なビールがあるので訪問した際はぜひ飲んで欲しい

ロンドンでもハイドパークの傍に「ラトビアクラブ」があり、週末は安くビールを飲めるクラブが開催されている。アジア人は殆ど見かけなかったが隠れたスポットであることには違いないだろう。


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(2012/12/20記)

2012年12月13日木曜日

霧の中のスターリン(orカーネルサンダース)

      今回はBirkbeckにおける実際の授業(モジュール)について書いてみる。
      Birkbeckは、元々の目的が社会人教育であったため夜間授業が多い。よって、コースにもよるが年齢層が高めだ。そういった意味で落ち着いて勉強に打ち込めるともいえる。勿論、大学を卒業後すぐに進学した生徒もいれば、生涯学習の一環で来ていると思われる社会人もいる。心理学を勉強した後、スターリンやヒトラーに関心を持って歴史のMA(修士)に来た人もいる。年齢・性別にバラエティがあるのは双方にとって刺激的だ。
今回の「スターリン時代のソビエトの市民生活」に関するモジュール(約2ヶ月間)は80%以上がネイティブ。有色人種はインド系のおじさんとトルコ人のお姉さんと筆者だけだった(女性は後半に消えてしまった)。
       冷戦下の東側諸国・ソ連に関する歴史研究は、冷戦終結とともに共産主義時代の内部資料入手が容易になり、個人の意思表明も可能になった。研究対象として充実してきた領域の様だ。
       入学前(8月末時点)には既に、全回分のトピックタイトルと検討課題、毎回のセットリーディング(A4で80ページ分位:読了前提として授業進行)、さらに推薦リスト(数冊の本ないし論文雑誌の記事)が提示されていた。2時間の授業は、まず教授によるセットリーディング関連のトピックの要点・論点整理、後半に推薦リスト等に基づいた学生のプレゼン、その後、質疑応答と言う構成で進行した。
   白熱した議論(話すスピードが速くなるか、発言がやたらに長くなる)には中々加われないので、最初に質問することやプレゼンをこなす事で、授業への関与を示す戦術を取った。
    筆者は「スターリン統治下のソ連で反乱・ストライキ・蜂起」をプレゼンテーマとして取り上げた(9月時点では「本当に史実か」と疑っていたが)。1932年にモスクワから230㎞位の都市で、7千人以上が参加した1週間にわたる工場ストライキ・隣の町(20km)までの数千人規模の抗議行進があり、しかも誰一人処刑されず最大3年の入牢・国内流刑で済んだという事実*をベースに行ったのだがその後の大粛清等に比して何とも牧歌的である。
読了した論文では(1)ロシア革命に貢献した労働者が多く住む工業都市で発生した (2)党に所属していない労働者が自主的に組織した(3)行動の背景にあるのは党が行った政策への反発であって反ソビエト(=反革命)では無いという3点を強調していた(論文の著者が鎮圧しづらい点を仄めかしているとも解釈できる)。
プレゼンを終えるに当たり、スターリンがまだ権力を掌握しきっていなかった時期であったからこそ抗議活動が出来た事と、工場・地域にある党支部側の初動の遅さに謎が残る2点を指摘した。 幸い(?)にして答えに窮するような質問も無くプレゼンを乗り切ったが、優先順位や論点を簡潔に纏める良い練習になったと感じた。
   タフで厄介な、そして卑怯な手を厭わない指導者が第二次世界大戦においてソビエトを勝利に導いた事は疑いない(その後の停滞も同じ理由だが)とこの授業を通じて認識を新たにした。 ロシアの歴史を垣間見るにつけ「力こそ正義」「勝てば官軍」「結果オーライ」というメンタリティを大衆が共有しており、西欧やアメリカ、日本が共有している民主主義的な価値観とは明らかな違いを感じる。
   ご存じの向きもあると思うが、スターリン自体はロシア人でなくグルジア人ではあるが、ソビエトでは共産主義を信奉する事を優先していたから、日本人からするとやや違和感のある現象が起こったともいえる。この男の事を知っておくのは、ロシアという隣人を持つ日本としても有益な事であろう。今でも、モスクワの博物館では「ナポレオンとヒトラー」という独裁者と人民の闘い、といった路線で展示されている。さすがにスターリンの銅像は余り置かれていないが・・・
   








   いずれにせよ、学術的には、霧の中のスターリン時代は徐々に暴かれていくだろう。依然として、彼の意思決定には不可解な点が多いのだが・・・


   スターリンの銅像といえば、9月に朝霧のブラチスラバ(スロバキア)でみたのを思い出す。レストランの入り口の目印として、いわばカーネルサンダースのような扱いを受けていた。
国家指導者から「客寄せパンダ」への転向に何か物悲しいものを感じる。
 
 最近、濃霧でヒースロー空港発着便に遅延が出たとBBCで言っておりましたが、ラッキーな事に筆者の部屋には、朝日がさんさんと降り注ぎます。まさしく「朝日のあたる家」・・♪

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(2012/12/12記)
* Jeffrey Rossman, ‘The Teikovo Cotton Workers’ Strike of Aril 1932: Class, Gender and Identity Politics in Stalin’s Russia’, Russian Review 56:1 (Jan. 1997), 44-69

2012年12月5日水曜日

アン王女に質問を受ける


(前回からの続きです)

大学の創立記念式典後のレセプションでは、シンガポールスリングとかカナディアンクラッシュなど、植民地名由来のカクテルが出ており、これが予想外に旨かった。

 気持ちよく杯を重ね、 イギリスで初めて美味いと感じたおつまみを頬張りながら、寮友達と気楽な歓談。

 女の子たちは、2階にある「チョコフォンデュタワー」の方に視線が釘付け。「どうして上の階には行けないの~~?」という感じではあった。

 美味い酒を飲んでいると、寮長が「アン王女が各テーブルに回り、こちらにもお立ち寄りになるもしれないので、寮生は集まっておいて欲しい」と、声を掛けてきた。まずはグラスを置き、さて、「何が起こるのだろうか」と眺めていた。

 しばらくすると、カメラマンやSPとともに王女が会場に入って来られた。王女はあちこちのテーブルで何か言葉を交わされている。そうこうしているうちに私の周りにいる留学生たちに対し質問を発せられていた。
 
 筆者にも「何を勉強しているのか?」との質問。

 ほんの一瞬の事ではあるが、長く感じられた。

 私も緊張したが「現代史を専攻しております」何とか答えた。

 外国の王族のスピーチを聞くのはともかく、お話をするという機会はそうないので、学生にとっては大きく印象に残ることであろう。カナダ人の寮友が、昔自分の大学にエリザベス女王が来る事を知らず学校を休んだ事を凄く後悔したと言うから、本国のみならず王室への敬愛が広く存在しているのだろう。 

 こういった式典に参加できたのも大学付属の学生寮に所属した大きなアドバンテージなのかもしれない(ので留学当初は入寮を薦めます)。

 宴もたけなわになってきたので。いよいよ女子主導で「チョコフォンデュタワー」に向かう。彼女達は、チョコフォンデュ・マカロンにありつけて大喜びだ^^

 何気にイギリス軍人達も、チョコフォンデュを楽しんでいた。

 ここでベネズエラ人の寮友と、江戸の将軍家と天皇家の違いについて質問を受け、ひとしきり説明した。彼は明治維新にも興味を持っており、イギリスの政治システムとの違いやプロイセン憲法との関係などを交えながら話をした。自国の制度を英語で説明する場合のボキャブラリ不足を感じたので、これらも勉強せねばなるまいと強く感じた。








 現イギリス王室の先祖はドイツ由来のハノーバー家であり、第一次大戦時に、交戦国ドイツ風の名前からウィンザー家と改名した事などを知っており、国民の支持を受けるための努力には色々大変な苦労があるのだろうと彼としばし盛り上がった。
  
 自国と各国の政治・歴史について、縦横無尽に語る事が出来るようにしたいものと改めて思う。
 
 自国の事情(利害)を説明・主張できるようにすることも、英語を学ぶ大きな目的の一つだと、筆者は考えているが現実はなかなか険しい。
いずれにせよ、旨い酒・つまみも手伝い、久々に印象に残る一夜であった。

 翌日、寮の給食のお姉さんたちに「貴方、昨日のパーティー楽しんだ? アン王女から質問されてたでしょう、私たち見てたわ」とニヤニヤされながら言われたのでびっくりした。

 実は寮の給食をやってるケータリング会社の人たちが、昨日のパーティーも担当しており、私が王女に質問された所をしっかり見られていた・・・やっぱり目立つのだろうか・・・

会場近くの建物に華やかなクリスマスリースを発見。

 先般、英王室が王位継承順位2位のウィリアム王子(30)の妻キャサリン妃(30)が妊娠したと発表した。イギリス国民にとっては嬉しいクリスマスプレゼントになるのだろうな、と感じた。

(2012/12/5)



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2012年12月1日土曜日

ロンドン大学創立記念式典とイギリス陸海空軍に思う



 入寮して早い時期に、「大学創立記念式典」があるとのメールが寮生全員に送られ、ロンドン大学の各学生寮(幾つかある)別に参加者割当があり、出たい人は寮長に申し出よ、との事であった。アン王女(チャールズ皇太子の妹)が総長を務めており、式典に参加されるとの由。イギリス式の儀式がどんなものであるか興味があるので、早速申し込むと運良く出席できることが決まった。 ロンドン大学付属の学生寮に入った事で得られるメリットは、違うカレッジ・学校の学生たちと知り合う事だけでは無かった。

 カフスボタンを日本から持ってきていなかったのでパディントンの駅ナカのお店で購入。ネクタイだけでなく、カフスまで売っているのあたりはイギリスのカルチャーか。

 いざ当日、スーツを着てネクタイを締めると仕事をしていた頃を思いだす。スーツは現代の甲冑だ、と昔何かの雑誌で読んだが、職人技が冴える仕立てに袖を通すと、体を包み込むような安定感があり、気持ちまで引き締まるのだから確かにそうなのかもしれない。

 寮の玄関横にロングのハマーリムジンが到着。思わず寮友と記念写真。
何かが起こりそうな予感!




実際は隣にあるホテルの送迎用()とのことで、我々一行はタクシーに分乗し出かけた。

 式典は大学本部がある建物で行われたが、入口ではアウトソース先の企業労組によるデモも開かれていた。疾病手当が無い事や経営の稚拙さを指摘しており待遇改善を訴えるものらしい。最初は「反王党派」じゃないか、等と勝手に想像したのだが、さすがにそうではなかった

 式典は定刻を過ぎ始まった。陸海空軍の将兵が総長、学校関係者を出迎え、入場(式典中は撮影禁止)。








http://www.london.ac.uk/foundationday.html
(こんな感じで入場:音声付動画)



 固い式典を想像していたが、冒頭に、王女のスピーチがあり、名誉学位の授与が始まった、途中、演劇学科のジャズソングやちょっとドタバタ系の寸劇の披露をサンドイッチしや感じで進行。ジョークを効かせた名誉学位授与の紹介スピーチがあり笑い溢れるものであった。
 映画「国王のスピーチ」にあるように、この国では、スピーチが重要な要素となっていると実感した(60年代にミニスカートを考案したMARY QUANT女史も名誉学位の授与対象であったが特に紹介がなかった)。

 
 
  印象に残ったのは、Sir Richard Evans(https://twitter.com/RichardEvans36)を紹介した、我がBirkbeckの学長Professor David Latchmanのスピーチだった。風貌から陽気な感じがうかがえるのだが、実際、スピーチではあちこちにひねりの入ったジョーク満載で会場を沸かせていた(多分、この日のベストスピーチ賞です)。曰く、「Richard Evansとググると、イギリスだけでも数千人、世界でたくさんいるごくありふれた名前です。・・・ペプシコの社長としても活躍している人もいれば、・・・・いろいろ居ます・・・でも、今日、ここに居るのは正真正銘の歴史家で第三帝国(ナチスドイツ)の大家のRichard Evansであります・・・」 この学長さん、相当、人をノセるの上手そうだなと思ってしまいました。ちなみに肝心の名誉学位をもらう側は皆、神妙な顔をしていました(王女直々に授与されるものですから当然でしょうが・・・)。

 式典の参加者は、寮生に限って言えば、国籍、学校、年代を検討しての結果とのことであった。日本人らしき夫婦を見かけたが教授だったのであろうか。同じ寮の女性が日本人であったほかは、アジア系は中国系か韓国系が多数を占めていたようだ。車いすでの参加者もおり、ダイバーシティを顕示する意味でも重要な要素なのであろう。

 一方、参列した将兵は現役組だけでなく予備役組も選ばれていたようだ。どういう基準で選定されているのかは不明(卒業生なのかもしれない)ではあるが、彼らにとっても栄誉あることは間違いない。

 そこで感じたのは、軍と市民との日常的な交流はいかにあるべきなのか、ということだ。

 平時のイギリスでみたものは、一言で言えば、極めて自然なスタイルであった。


 一方、日本の場合は、旧軍の威圧的な存在とその敗戦と言う結末が歴史的事実として残っている。それが故か、日常で自衛隊と市民との間に交流する機会は災害時を別とすれば、限定的に感じる。

 ありていに言えば、旧軍は威張ったが結果が出せず敗北した。戦況報告において旧陸海軍の首脳(その一部)は国民のみならず最高指導者たる天皇陛下すらも騙していた。そして前線の将兵は間違った作戦指導のもと力尽きるまで戦い亡くなっていった。このあたりの経緯は
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)が詳しい。

 

 学校での軍事教練では予備役軍人が子供たちに高圧的な姿勢で臨んでいたと聞く。原爆を始めとする戦略爆撃で多くの市民が犠牲となって、戦後の窮乏生活を強いられた。そして戦争指導を自ら裁く事が出来ず勝者の手に委ねざるを得なかった。これらのトラウマは、今でも日本の防衛政策決定に大きな影を及ぼしている。



  勿論、自衛隊は国内外で様々な交流を持っている。筆者は昔、米国ノーフォークに寄港した海上自衛隊練習艦隊のレセプションに招待された事があるが、アメリカ側の賓客を迎え、ミス・ノーフォークも参加していた、楽しいひと時であった事を覚えている。練習艦隊は、幹部候補生が候補生学校を卒業後、遠洋練習航海をおこなうものである。それは練習艦(TV-3508 かしま)を旗艦としたものであった。しかし、たまたま旅行先に友人の自衛官が駐在しており参加できたわけで、一般市民がだれでもアクセスできるわけではないだろう。

  日常生活で接する事は、自衛隊基地のある町などを別とすれば、なかなか無いのではないか。東京で有れば朝霞(埼玉県和光市)にある陸上自衛隊広報センターに行けば色々な情報を入手できる(筆者は大震災前日に初訪問した)が、駅からもやや遠くに位置しており、諸国の軍事博物館のように都市の中心部に位置している訳ではない。例えばImperial War Museum (London)はかなり好立地に位置している。
 それらがゆえに、有事の際に何が市民に起こるのか、自衛隊との関係はどうすればいいのか、という基本的な事項が共有されにくいのである。危険な任務についている訳であるから敬意を払わねばならないのは当然だが、手放しで賛美するのも危険視するのもおかしい。税金を投入する以上は効果的に運用されているか事実をチェックせねばならない。

 例えば、
  某国からミサイルが放たれた場合、一般市民はどうすべきなのか?
  日本海側や島しょ部で観光していた折に不審な集団が上陸・銃撃してき
たらまずは警察に電話すべきなのか?自衛隊に市民が直接連絡すべきか?

 
 某国で観光中に突如、軍事施設エリアに侵入したとして拘束されたらどうすべきなのか?(某国首都には、街中に軍事施設エリアがあるのを筆者も目撃した)。
 また、万が一、隊内でクーデターが発生したらどうするのか、といったややもすれば誇大妄想的な事とて、政治家は考えておかねばなるまい(国防軍にするなら、なおさらだ)。

 地震とは違う国難だが、こちらについては市民レベルで全く準備が整っていないといえる。周辺国では軍事力の近代化・強化が進展しているにも関わらず、だ。

 もっと言えば、自国の防衛についてどれだけ、今の子供たちが知っているだろうか。例えば、一佐と一尉のどちらが指揮命令系統上、上位なのか、どの程度の規模の集団を率いる事が可能なのか等・・・・言えばきりが無い。 

 こういった事は、著者も残念ながらこの手の易しいQ&A集を見た事が無い。無論、学校でも習った事は無い。政治家の多くも、軍事的非常事態に対しての資質を持っていないのではないか。

 今後は、否が応でも周辺事態の先鋭化に伴い、市民も軍事的素養を持たねば自国を守ることが出来なくなるであろうから、戦前の反省も生かしながら、市民による健全な統治(軍事力は手段であって目的ではない)を継続できるように考えていきたいものだ。

  指導者たちの巧みなスピーチとジョークの応酬を目の当たりにして、イギリス軍人の颯爽とした姿を見ながら、著者はこんなことを考えていた(ちょっと考えすぎでしょうか???)。

 そして、大学創立記念式典後のレセプションで、筆者は思いがけない経験をした(続く)

 例によって、リラックスした式典と違いピリ辛風の堅い結末になってしまったので、次回の予告も兼ねて

 さてこれは何でしょう?(とても甘い気持ちになれます)
Professor David Latchman

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(2012/11/30記)