2013年6月29日土曜日

スパイス・ガールスと「国際交流」

 文明圏によってはスパイスを多用した食事やお香を嗜むのが通常だ。

これが意外な摩擦を生むことが有った。




 基本的に喫煙等、煙を出す行為は学生寮の規則で禁止されている。

 そもそも喫煙は公共の建物内の場合はイギリスの法律で禁止されている。

 が、寮のトイレ等で吸うものは後を絶たない。シャワールームの排気ダグドから、タバコのにおいが漂ってくると辟易するものだ。

 そんななか、同じフロアの廊下から、強烈なお香が漂ってきた事が有る。

スパイシーなんてものじゃない・・・・●△×◎・・・・・なんじゃこれは???

 日本人ならば、仏式のお香に親和性があるが、そんな生優しいものでは無かった

 何かの宗教用の香なのだろうか?

 一過性で「まあいいか」とおもっていたら、ホール用のFacebookではやや過激なやりとりが繰り広げられた(下記参照)。

 どうやら、女性がお香を炊いた事にムッときた女性がコメント、別の階の女性が「まあまま」と諭したのだが、コメント主は納得がいかない調子であった。



 この手の話は、定期的に皆が感じているかもしれない。

 寮では、2週間に一度、掃除スタッフが掃除をしてくれる。

 掃除中は、ドアが明け放たれる。

さて・・・・何が起こるのか

 ファッショナブルなラテン系女性の部屋がメチャメチャ汚かったのが見えてしまったりもするが、これは目をそむければ済む話である。 

 が、隣室から強烈な異臭が放たれたりするのは、なかなか寛容になれないだろう、騒音と違って避けようがない。


 どうかすればエレベーターに載った時でも強烈な匂いに癖癖する事が有るため、決してエレベーターを使わない、と言っている寮生もいた。




確かに、とある女性がエレベーターに乗った後は、鼻が曲がるほど強烈な異臭が残っており、自分も乗るのを躊躇したことがある。

 寮友に聞くと、同じ国でも異なる民族集団が多数居て、「集団によって摂取するスパイスも異なる」とのことであった。 


 毎日、特定のスパイスを摂取していると、「スパイス・ガールス」になれるかもしれない・・・という冗談は、さておいて、嗅覚は個人差も大きいのでなかなか難しい問題だ。

 昔から「国際化・グローバル対応」と耳障りのいい事を、官民ともどもスローガンに掲げているが、語学ができればそれでよい、というものではない。

 低コストで他地域とコミュニケーションできる人を調達したい、という思惑もあって産業界は発言しているだろう。

 しかし、本当に「国際交流」が出来る事なのか、安易に発言する人々には五感も動員して再考して欲しいものだ。

 民族への寛容、非寛容は、理屈では無い五感の問題も存在することは留意してほしい



 ともかくも、これから留学の皆さん、風通しの良い部屋、異臭を感じない部屋が見つかる事を祈ります。

(2013/06/29記)


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ホール用Facebookのやりとり(ご参考)


Person A:
Is someone on the our floor burning incense or something? The hallway outside my room smells strongly of incense or similar, and its creeping in to my room as well. Not a fan.

Person B:
 I'm on the third floor, so this does not concern or affect me. Life is short; put a towel under your door and open your window and let that person enjoy their peace. They are not infringing upon your right to happiness. Have an excellent day.

Person A:
      A ) If they're BURNING incense, I'm pretty sure it's against the rules.
B ) I shouldn't have to put towels underneath my door. Whoever is doing this needs to respect others. This is still going on and I am going to have to go out soon, meaning I can't put towels down or open my windows (if you saw the spiders that get into buildings this time of year, you might understand, I'm severely arachnophobia. not happening, especially when I'm not around to monitor). This means I might get back to my entire room smelling crap. So actually, yeah, they are infringing on my right to happiness. I have a right to not having to spend money washing my clean clothes because they smell now.
              Also, its so strong its giving me a headache.

Person B:
Good luck with your quest upon finding a community in which people do not have to occasionally sacrifice to let others shine. Happiness in a community is about balance and give and take.

Person A:
Yeah, and this happens far too often and I'm sick of giving. I don't know what your problem is, but this isn't the first time I've had to deal with other people's smells coming into my room. I'm sick of it, so I'm complaining to try and get things fixed.

(中略)

Person B:
Good luck. 

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2013年6月24日月曜日

どことなくバブリーなCanary Wharf

 ロンドンはエリアごとに住む人種や階層が異なり、ひとくくりにできない。そんな光景を吹き飛ばすのが再開発だ。

ロンドンらしくない(?) 現代的オフィス街

 富を創出するには再開発が手っ取り早い(環境負荷への影響は別として)。特に古い建物をIT対応させるのはなかなか大変なことであろうから、新しく建てる方が理にかなう部分もあるだろう

ロンドン東部のCanary Wharfのような大規模なものもあれば、ヒースローエクスプレスの終着点Paddington周辺の小規模なものもあり、あちこちでスクラップビルドを繰り返している。


 Canary Wharfは港湾荷役場や倉庫街だったものをサッチャー政権下に都市再生し、金融関係のオフィスが集結しているエリアだ。

 
一つ一つの建物が異なったデザイン

街ゆく人々も颯爽としていて、雑然としたロンドン市内とは一線を画したエリアだ。 

金融機関や企業のオフィスが集結

エリア内のテナントを見ていると、どことなく80年代バブルのような雰囲気もどこか漂ってくる。もっとも熱狂感は無く、もっとクールではあるが。


「ゆりかもめ」みたいな「DLR」 


 再開発エリアの外れにある、Museum of London Docklands (入場無料) に行くと植民地貿易で財をなしたイギリスの栄枯盛衰をたどることが出来る。 隣接する幾つかの雰囲気のよいバーやレストランもお勧めだ。


お茶や香辛料のサンプルが置いてあり、種類当てクイズといった子供も大人も楽しめる内容の展示もあり、じっくり回ると2時間は所要する。

五感を駆使した展示がユニーク


 奴隷貿易による富の蓄積とその副産物である人種の多様性への言及についてかなりのスペースを割いており、国民統合の困難さを暗示した展示も見ごたえがある。

 第二次大戦中はこのエリアが重要拠点であったためドイツ軍の猛爆撃にさらされた(再開発をしやすくする素地になった)。 

テムズ川や海上に設置された対空砲座


また、古くからの住民を追い出した形となっているため、旧市民による反対運動や「街の葬式」が開催されたと、博物館には記録されている。 

「街の葬式」


 再開発エリアに、歴史の光と影をきちんと説明する博物館がある、というのがイギリスらしい。 六本木ヒルズなどの再開発についての歴史があまり人目に触れない日本とは対照的だ。

 自分たちが学んだり働いているエリアの歴史に思いをはせてみるのも案外重要かもしれない。特に災害時には、古の知恵が生きる可能性が有る。

 例えば「窪」「久保」「沢」などが地名にあれば、水がたまりやすい地名。 その昔、六本木ヒルズのあたりを「麻布北日ヶ窪」といっていた。 それが故に土地の起伏を変えてまで地盤強化する必要があった筈だ。

 Canary Wharfもテムズに面している。地球温暖化で水面上昇が起こるとどうなるのかな、と思うくらい立体的に土地を活用しているエリアだ。

 いずれにせよ、土地の成り立ちを知る事は少し長くその地に住む場合のは欠かせないプロセスだと思われる。

 


 中心となるカナダスクエアでは、Lotusの新車展示が行われていた。

 このエリアには常設のポルシェのショールームもある。 

 金融機関のボーナスが良い時は、即金で買った時代もあったかもしれない。

「またバブルよ来い!」という人々の願望をこの場で感じたのは気のせいだろうか・・・

(2013/06/24記)




 

2013年6月15日土曜日

空飛ぶ広報室



 TBSドラマ『空飛ぶ広報室』についての批評が、『Wedgeオンライン』に掲載されていた。



航空自衛隊のバックアップあってのものであろうが、中々楽しめるドラマである。

 無論、多分にデフォルメされており、実際の職場とは異なる部分が多々あるはず。交通事故の結果、飛行資格を失った元パイロットの自衛官、NPOによる自衛隊批判という設定を自衛隊は良く受け入れたものだ、と思う。

 これらの設定がドラマ(小説)としてのリアリティを感じさせるところであろう。

 全体を通して、各キャストが「やたらに泣く」という所はやや食傷気味であるが、自衛隊の存在を肯定否定するに関わらず、組織に関わる大人のエンタテイメントとして一見の価値はあるだろう。

 特に柴田恭平のひょうひょうとした感じが面白いが、彼の昔の役どころ(NHK大河ドラマ)『山河燃ゆ』などにも見られるが、どことなくキザな感じが一貫しているのは面白い。城山三郎原作の「勇者は語らず」などのドラマにも出演していたと最近知った。

 ネットで国境を超え、最新作のドラマが簡単に見られるようになっているのは隔世の感だ(著作権等の課題はあるにしろ、だが)。

 自衛隊自身がよき市民であるとともに、防衛力を市民の為に用いられ続けるように、国民は敬意を持ち協力しつつも指摘すべき事はしていく行く必要がある。旧軍のような形に変質してしまうのはお互いに不幸な結果しか生まないからである。

 恐らく、周辺有事は些細な事からはじまるであろう。正面装備を充実させることも大切だが、周辺国に対する情報収集を怠らない事も重要である。 

 チャンスが有れば中国大陸でやっている抗日ドラマと見比べてみるのも、民度の差を実感する事が出来るだろう(大陸は全てのメディアは検閲されているので、体制批判めいたものは描写されても「殲滅」する対象として、である)。

 また、各国の防衛・国防省の国内向けWebサイトを見ると、その国のおかれた状況・特色がWebデザインに反映されているようだ。

日本防衛省:退職者雇用、キッズコーナーというバナーが目立つ

イギリス国防省:各部門リーダーたちの顔写真入りの紹介が下方に目立つ

ドイツ国防省:これといった特徴が無い。

アメリカ国防総省:意外にも写真よりも文字が多い

中国国防部:万里の長城をトップに掲げる。「夷敵」を排するという「中華思想」の表れか。下方に「最美女・・・」などというバナーも何気にある。

ギリシャ国防相:写真も少なく、極めて簡素。国家破たん寸前で予算が無いのかもしれない。


広報は、国情や各組織の意思を示す。 これまた有力な武装であろう。


 こちらは、MI5の求人広告。

隣接するカレッジ(SOAS)の就職斡旋コーナーに置かれていた


ロンドンとそれ以外の地域だと給与が異なる。物価水準が違うからであろう・・・


(2013/06/15記)


2013年6月8日土曜日

マリエンバードの彷徨 

 ボヘミアのドイツ国境に近い、Mariánské Lázně(ドイツ名:マリエンバード)やKarlovy Vary(同:カルロスバード)といった温泉保養地は、王侯貴族や著名人の逗留の場所であった。 

 人々は温泉を飲み、散歩で森林浴をしてリフレッシュをしていたのだろう。 


コロナーダ=飲泉場

川沿いや山に向かって散歩道が広がり、コロナーダが点在する

緑の木々はどこまでも続く 

美しく整備されているホテルの建物

大噴水とコロナーダ

点在するコロナーダは個性的な建築様式である


思い思いの意匠の飲用陶器やペットボトルに汲んで飲む


 資源高騰で沸いたロシアからの観光客がチェコに盛んにやってくる。ロシアによる不動産投機が盛んなようで、ロシア語の宣伝も目立つ。

ロシア語の不動産広告

 チェコにとっては貴重な外貨獲得手段であるから、彼らをむげにはできない。マリエンバード近郊にはロシア各地からの直行便が発着する空港も有る

 日本で言えば軽井沢のような地域でドイツ系住民が多数派だったエリアだ。ノーベル賞作家のギュンター・グラスの所属していた武装親衛隊はこの地でアメリカ軍に降伏している。

 
 1945年以降にドイツ系住民を追放した後はチェコ人が集住、そして今、ロシア人たちが大挙して訪れる。この約70年間で、往来する人々の人種についてはすさまじい変化が起きているのかもしれない。

 山々や建物だけがその変化をじっと見つめているのだ。

 
 散歩道に点在する記念碑にはドイツ系の名が目立つ。 まぎれも無くドイツ系に人々にとってもこころに残っている場所なのだろう。



Heidler, Karl Joseph 温泉医学で有名な学者らしい


 現在では、チェコはEUおよびNATOに加盟しており、対米協力も積極的に行っている。チェコ・アフガンにも派兵している。

 ドイツ等がアメリカの政策に懐疑的な事に対し、チェコのそれは積極的な関与だ。

 ロシアとの国境は無くなったものの、国際情勢いかんで小国の運命は決まるから、アメリカを自国に呼び込んでおく事は重要なのだ。


 このマリエンバードにもパットン将軍の記念碑が有り、解放記念式典が行われていた。

パットン将軍隷下のアメリカ軍が解放



 大国間のバランスを取りながら生きていかねばならない小国の実情を小さな町でも垣間見ることが出来る。

 温泉水を飲むと、心なしか苦み(ビター)と複雑な炭酸系の刺激を感じた。


解放式典にはチアガール達も集結。

こちらは、アメリカ式のスィートエンジェルという所だろうか?

(2013/06/08記)




2013年6月1日土曜日

大胆不敵であれ!


 再び、チェコ訪問記に戻る。Liberationfestival in Plzenは、1990年から続いており、今やこの街の最大のお祭りのひとつであろう。
 先般、記したようにパレードが中心になるが、その前後は、アメリカやヨーロッパから退役軍人やミリタリーマニアが当時の軍用車で集結、家族や仲間たちと町の中心部にキャンプを張って過ごす。

 家族連れで来ているというのも新鮮だ。ドイツからも結構来ているらしく、アメリカ軍の格好をしている彼らからドイツ語も聞こえてきた(旧敵国の制服を着て喜んでいる姿には違和感が有るのだが・・)。
 パットンミュージアム(正確にはPatton Memorial Pilsen)は、この期間はフェスティバルのための特別公開になっていた。


パットンというと戦争好きで豪胆なイメージが強いが、少年時代は「失読症(Dyslexia)」であったらしい。


 軍規に厳しく、電撃戦に強い彼は、バルジの戦いで戦功をあげピルゼンまで進撃したが、政治的な判断でプラハ進撃が出来なかったことは無念であろう
 

大胆不敵であれ!というのが彼のモットーだった



将兵向けの現地ガイドブック

 大量のガイドブック(会話集・占領地域の概況書)が前線の兵士に配布されていた。チェコの女性を口説く会話まで網羅していたかどうかまでは判らない。
 が、こういった書籍の装丁を見る限り、日本軍の同時代の兵士用の教科書の装丁と比べて華美に出来ており、物量差を強く感じる。 


G.I.とチェコ美
 

 ちなみに、「G.I」とは GalvanizedIron(亜鉛めっき板)の略とされ、物量的に恵まれたアメリカ兵の装備をもってたアメリカ兵に対する俗称である。

 ちなみに、イギリス兵はTommy Atkins またはTommy、ドイツ兵は Fritz とかKraut (侮蔑的に:ドイツ語のザワークラウト由来)とか呼ばれたようだ。

  

 G.Iたちは、物量作戦でチェコ女性にモーションを掛けていたのかもしれない(苦笑)。


 ベルギー国旗がモチーフとなった展示は、D-day(アメリカ軍のノルマンディー上陸)からピルゼンまでの、ベルギー軍の行軍軌跡を説明していた。
 ベルギーは戦時中にドイツに占領された為、ピルゼンを解放したのはイギリスに亡命した人々からなる部隊である。
 ベルギーもチェコも大国に挟まれている。その意味では似たような境遇にあったともいえるかもしれない。
 
 短編無声映画の上映コーナーがあり、米軍が市広場に入場するシーンが印象的であった。

 そこでPlzenの町の中心広場を歩きまわったが無かった。が、旅から帰ってホテルの名前から検索すると、Plzenではなく、Sušiceという町のホテルであった

 現在はレストランとして存続している模様で隣の建物の形状などからも同じものと特定できる。
 グーグルで検索すると見つかるのも凄ければ、社会主義時代も生き残り、同じ建物で同じ称号で経営し続けている事も凄いと思う。
チェコスロバキア・アメリカの友好式典(当時)

 チェコスロバキアは元々、1918年の独立時から西側世界に目を向けていた。第二次大戦後、アメリカはキラキラと救世主のように輝いていたのかもしれない。
 なぜなら、フランス・イギリスとの同盟関係はナチスドイツの攻勢の前には役に立たず国が消滅したからだ。チェコスロバキア本国の意向などお構いなしに、イギリスが戦争回避の観点からドイツに譲歩して領土をドイツに割譲する事で合意した(19389月のミュンヘン協定)。
 第一次大戦後の外交では、大国同士の総力戦回避が最優先であった。チェコスロバキアの独立は、ドイツやオーストリア、トルコといった国々の力を削ぐための大国の外交政策でもあった。
 アメリカのウィルソン大統領の「民族自決の原則」も、一義的にはこれらの政策を正当化するためにあった。もっと言えば、新興市場獲得、という狙いもあったのだろう。
 

 ありていに言えば、新興独立国の思惑など大国にしてみればどうでもよかったのである。この図式を理解しておかないと、「ミュンヘン協定」の意味合いがピンとこない所であろう。

 「民族自治の原則」などは大国間の駆け引きの道具にしか過ぎなかった。
 
 第二次大戦後、チェコスロバキアにしてみれば、イギリスよりもアメリカ重視といきたかったところだが、そうは問屋がおろさなかった。

  ロンドン亡命政府系勢力とソ連の影響下にあった共産主義勢力との連立政権により新生チェコスロバキアは独立した。
 アメリカとしてはドイツや日本の戦後処理を優先する必要もあり、チェコへの関与は限定的なものになったのだろう(この経緯はこれからの筆者の研究対象でもある)。

  チェコスロバキア・アメリカ友好の手紙のやり取り
 

 パットン将軍自身は1945129日、ドイツ・マンハイム郊外で交通事故で死亡した。丁度、アメリカ軍はピルゼンから撤退した時期である。 


 時代は、ピルゼンとアメリカとの友好関係を許さなくなっていく。そんな事を暗示する死だったのかもしれない。

 最後のコーナーは、アメリカ軍撤退後の苦難の歴史展示だった。

「檻の中」の展示

 1948年により共産勢力が権力奪取。
 西側諸国との接触が有った多くの人々が公職追放にあい、場合によっては投獄・処刑された。亡命せざるを得なかった人もいた。
 そして1953年の労働者反乱、1968年のプラハの春。
 冷戦終結までアメリカ軍による西ボヘミア解放は公式史から抹消された。

教科書も改竄されていた。

 説明は淡々としたものであったが、苦しみ、悲しんだ人々を「檻の中」で展示する事で表現していた。言葉よりも、その演出が一番わかりやすい。 

 時の為政者にとって都合の悪い事を教えないというのは洋の東西を問わない。それがゆえに、家族単位で、口コミで、様々な出来事を伝承していった。あるいはリスクを負いながらも、様々な資料を隠し持っておくということも重要になっていた。

 筆者の見る所、この博物館にはアメリカから寄贈された資料が多いが、当時の手紙などの重要なアイテムはチェコ国内で隠し持たれていたものがあるだろうと、見立てている。 

 こういった取り組みはこれからも、「大胆不敵であれ!」というパットンの言葉のように行っていかねばならないだろう。 
 




プラハはおしゃれな女性が闊歩していたが、ピルゼンも中々のもの。


  

 時代が変わり、ピルゼンの旧市街の中心部は明るさを取り戻した。

次に訪れるときはどのようになっているだろうか・・・

 筆者も大胆不敵に精進してまいりたい。  

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(2013年6月1日記)


※1 Battalion(大隊)300–1,300名で構成され、中佐か少佐が指揮。