2014年12月31日水曜日

コシチェにユーシン?? (ハプスブルグの面影を求めて:その20)

 旧市街の外れにある宿から空港行きのバス停があった。そこからコシチェ空港に向かうバス停で、不思議な響きの停留所をみかけた。「ユーシン」とあり日本語の響き。

    (Wikipedia より)


このコシチェではたった一泊だったが、市の中心部はオーストリアーハンガリーの面影を 色濃く残していたことを実感できた。

旧市街の真ん中の広場と教会、市庁舎があり、人々はそこに集う。

駅や空港に降り立った時、そんな安心感も有るからヨーロッパを旅できるのかも知れない。

その中東欧が日本勢を含め欧州での自動車産業の低コスト生産拠点となって久しい。冷戦後、フォルクスワーゲンを始めとして西ヨーロッパの自動車メーカーや部品産業は、東シフトを敢行した。日本ではスズキがハンガリーでいち早く1992年から現地生産をはじめた。理工系を重視した教育水準と安い労働力の確保ということになること、そして社会主義時代の停滞した工場は見捨てるなどの条件が重なったからなのではないか。当初はチェコが注目されたが、より安い労働力を見込み、その勢いはスロバキアやルーマニアに及んでいる。
    その一環が、空港に隣接した形で、2013年に株式会社ユーシンがフランスのヴァレオ社から事業ごと買い取ることになり、バス停のなまえも『ユーシン』となったいきさつのようだ。233百万ユーロで1200人の従業員ごと譲渡と地元でも報道もされた。
空港で日本人ビジネスマンらしき人々を見かけたのもそういったことかもしれない。
この先、労働コストをさらに下げようとするならば、より東方のウクライナということも考えうるが、国境管理による物流コストや所要時間や、労働コスト、地政学リスクなどを考えるとまだまだ先の事なのだろう。
ハプスブルグの面影を追いかけながら、中東欧でのビジネスのことも気にしつつ私はコシチェの空港のラウンジで佇んでいた。

(2014/12/31)

2014年10月5日日曜日

留学準備(「在外日本人」海外に長く住むと言うこと)

 留学・移住を考えているならば、ネット検索などで華々しい話や厳しい話も引っかかってくるだろう。 

 進路や留学について考えが迷った時にこの本を読んでみると、「へぇ―」という驚きと共に畏敬の念に駆られるかもしれない。自分自身も漠然と留学をする事を考えていた時から、何度も読み直していた。 色々な分野の人生を垣間見ることで、自分のレールを考え直すことはあるかもしれない。 順調とされたキャリアパスを捨てたとしても、違う道を歩む事や少し考える時間を確保する事は長い人生では必要な場合が有る。 

 本や勉強だけでなく、良い音楽や絵画、総合芸術などに触れる事も人生を大きな影響を与える場合もある。 勿論、人に出会うことで人生が変わる場合もあるだろう。

BBC PROMS コンサート
 

 この本は1994年に書かれたが、情報が無かった時代だけに本質的な悩みや、厳しく自己に相対してきた人々の言が率直に集められている。冷戦下の中東欧の話もあり、期せずして、先日お話を伺った元商社マンとチェコで一緒に仕事をした人についても、収録されていた。 また、冷戦下、ウクライナ人のヴァイオリニスト女性と恋に落ち、KGBの勧誘を受けながらも断った人、敗戦後に中国に留まり技術指導をした鉱山関係者、ベルリンやチェコで指揮者として人生を歩んだ人など、40カ国65都市でインタビューしたノンフィクション集である。 



 サラリーマンや公務員になるのも人生だけれども、こんな人生もあるよ、という2008年に亡くなった著者からの静かなメッセージ集とも読める。

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(2014/10/5記)


2014年10月4日土曜日

留学準備(スーツかジャケットは持参、男性なら履きなれた革靴はマストアイテム)

 留学中から就職活動をするケース、パーティー、大事なお客様との会合等々を考えると、フォーマルな装いを準備しておくべきだろう。

 例えば、大学院生ならば下記の様なケースが想定される。


・就職セミナーへの参加

・大学主宰の創立記念日 (アン王女に質問を受ける) の項参照

・政治家との勉強会、サロンへの参加

・クリスマス・ミサなどへの参加

・国際機関への訪問(バークベックのお隣のSOASにはこれがウリのコースがある)

・大使館主催の行事参加 (小国の場合はそういったチャンスもある)

・思わぬ出会いなど

いろいろある。

機能的な印象の本館(?)


Senate House の図書館


学校や図書館だけの往復では余りにもったいないので、余裕を作って思い出深い、大学院生活を送ってほしい

(2014/10/)



2014年10月1日水曜日

ハンガリーだったスロヴァキア(ハプスブルグの面影を求めて:その19)


約百年前まで、大部分がハンガリー領だったスロヴァキアには、東部を中心として今なおハンガリー系の人々が住んでいる。ここ、コシチェの街にはハンガリー風の名前を持っていた著名人のレリーフや記念碑がそこかしこにあり、ハンガリー国旗風の飾り付けが記念碑に飾られている。


 このスロバキア第二の都市は、 ハンガリー語でKassa,、ドイツ語ではKaschauと呼ぶという。

  第二次大戦中の共産系反独レジスタンスの契機となった中部スロヴァキアや首都ブラチスラバとも雰囲気が異なる。独立運動と深い略語SNPと言った単語はこの街では目立たない。

テレジアンイエローは中欧のシンボルの一つ

   当地で生まれた作家Márai Sándorの博物館にふらっと入ってみる。知らなかった作家だが、各国語にも訳されていた。世界各国に住みアメリカで一生を終えたが冷戦下のハンガリーでは発禁だったという。

パスポートは何処の国のものだろう?


NAMESTIEは広場の意

韓国語バージョン

   受付嬢がIELTSのテキストを読んでいたので声をかけると、近々イギリスに留学するらしい。幾つかTipsを授けて後にした。

旧市街の表通りは綺麗に整備されている

戦災や経済活動で変容してしまった西ヨーロッパの都市と違い、開発が遅れたが故に古いものが大切に使われている。何だかホッとするのはそのためだろうか。


 テレジアンイエローと秋の空

  ハプスブルグ時代の面影を強調するように、テレジアンイエロー(マリア・テレジア好みの黄色)で彩色された建物が目立つ。

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(2014/10/01記)

2014年9月19日金曜日

東スロヴァキア今昔(ハプスブルグの面影を求めて:その18)


 東スロヴァキア、この地域の国家帰属や人口構成は複雑だ。19世紀末のアメリカ・ペンシルバニアに大量移民が行われたという事だった。第一次大戦後にオーストリアハンガリー帝国が崩壊する迄、このエリアはハンガリー領だった。チェコスロバキア独立とともにハンガリーから分離、1938年から第二次大戦の間は再びハンガリー領となった。第二次大戦後、ドイツ系とハンガリー系住民は追放され、スロバキア人優位となる。

 島国である時代の長い日本には判りにくい概念だが、旧満州や樺太などでは同じ事が起こっていることは記憶に留めておくべきだろう。

コシチェの目抜き通りはEU補助金で整備された


ウクライナ国旗の配色に似た旗


一方で社会主義時代の名残もそこかしこにある。

 当地で生まれたハンガリー系スロバキア人の労働運動活動家Schönherz, Zoltánが第二次大戦中にブタペストで処刑された事を記したメモリアルプレートがあったりする。

Schönherz, Zoltán のメモリアルプレート

ソ連兵のメモリアルも駅近くに鎮座。

共産時代のメモリアル




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(2014/09/19 記)

2014年9月11日木曜日

デプレッション対策はお早めに(留学準備)

 イギリス人でさえも、太陽が短い冬にはデプレッションになりがちと聞く。うつ病ではないが、ひどく落ち込む日が続いてしまう状態を指す。

 大学院の場合、10月からコースが始まり、いきなりピーク状態になったまま慣れない論文や試験がクリスマス前後に有る。 ホッと一息ついた時や体調を崩した時に、デプレッションになりやすい。1カ月位、回復に時間を要してしまう場合が有り、コースワークに支障を及ぼす事が有るので要注意だ。

雨上がりの冬の空


 対策
1.寮で規則正しい食生活・友人たちと接する
  コースにもよるが、論文の評価主体のコースの場合は週一回の授業であったりすると
  残りの日は人と話さずに一日が終わるケースもある。
  フラットを借りていても、隣人との距離感は意外に難しい。
  その点、寮であれば仲間を見つけやすい。
  筆者もお互いに一日一度でも声を掛け合う重要性を心から身にしみた。

決して美味でなくても友人たちとの朝食は格別

2.定期的な軽い運動
  学校まで歩くのが一番簡単。帰りを違う道にして旨い民族料理を探検するなど変化も重要。
  ハイドパークへのお散歩
  学校生協のジム、公営プールなどに通うのも良い

3.深い深呼吸を覚える

  現地のピラティスやヨガのコースに参加するのも面白い。日本人トレーナーも居ました。
  
  オンライン・ジャーニーロンドン版 クラシファイド で検索して見ると色々出てきます

  お勧めは日本に居るうちからヨガやピラティスを練習しておくことで、集中力も増します。

4.小旅行
  ロンドンからならオックスフォードやウィンザー等の日帰り観光などもよい

冬でもこんな天気だったら思い切って小旅行


皆さんの留学生活が健やかなものであるように祈願しています。 

 (2014/09/11記)

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2014年9月6日土曜日

東スロヴァキア:ビールとステーキで乾杯(ハプスブルグの面影を求めて:その17)

  コシチェ(Košice)に列車は到着。町外れの駅前はシュコダ(チェコ製)のトラムがトロトロ走っていた。
社会主義時代を色濃く残すKošice駅前

   目指すは旧市街のはずれにある山小屋風の宿だった。休日であるせいか、道端のキヨスクも休み、宿の階下にあるビヤホールも早々に店仕舞いであった。
    ややくたびれた感のある宿の中は、どこか北海道の美幌ユースホステルに似ていた。

屋根裏部屋と小さなベッド

山小屋・ユースホステル風の廊下


    宿の名前は「K2」、管理人も元ヒッピーという雰囲気。シャワーを浴び、近くのステーキハウスに向かう。ヨーロッパの地方旅の面白さは、歩いていて「ここは良さそう、旨そう」という勘が働きやすい事があるかもしれない。特に町外れなど地元の人向けのお店ならば意外にコスパが良いことも多い。

U Troch Ruzi

   スロバキアに戻って来たので、旨いチェコビールでまずは乾杯。

ピルスナーウルケル
熟成したお肉を捌いている部屋が見える

極上の肉が木製のトレーで供されて来た

部位別にメニューの説明が有る



 たった80kmでもウクライナから離れると、大空の雰囲気や平原自体は変わらないのだが、街の雰囲気や道路の舗装状態が著しく違う事に気付く。

看板もキリル文字はもはやなく、どことなく見慣れたものになっている。

ただいま、EU、スロバキア!




スロバキア情報関係サイト


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(2014/09/07記)

2014年9月3日水曜日

寮のディスカウント(留学準備)

 ロンドン大学の学生寮費については長期契約かつ一括払いをすると、3%のディスカウントがあった(Season 2012-2013)。コツは、分割払いで長期契約をして入り、ディスカウント期限ギリギリまで様子を見て契約変更する事だ。

 但し、課金システムはクレジットカードを使うにも関わらず、署名した用紙をスキャナーで取り込んだりして送付するなどイマイチな対応で会った記憶が有る。ギリギリに変更しようとしてトラブルに巻き込まれた寮生も居たので余裕をもった対応が吉。

眼下には騎馬警察のパトロール

 学生寮の窓はある程度開いたので真冬を除いては毎朝、空けて空気を入れ替えていた。在学中、滞在した3つの寮とも南面であり、始終デスクワークの身としては太陽を浴びる良い機会でもあった。
インド人留学生たちはこのゲームが好きだった

TVルーム

TVルームと隣り合わせのStudyルーム、余りアテにならない


 南向きの部屋をゲットするのは半ば運の様なものだ。

 北面の部屋、地下室の部屋など、悪条件の部屋もあるのだが、一日1~2ポンドの違い、どうかすれば同じ寮費だ。

 部屋の広さ、リノベーションの有無、シャワーの勢いなど、部屋毎に異なっており、およそ標準化とは遠い世界だ。また、バーの上の部屋、公園に面して煙草の煙がいつも入ってくる部屋などもあり、不平等感は大きい。 英語圏からの学生は、関係先に抗議をして部屋を変えてもらう等の交渉をしていた。

 うまく9か月~1年間快適に過ごせる部屋を確保して欲しい。

(2014/09/03記)

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2014年8月24日日曜日

ヒッチ続行:スロバキア鉄道駅まで向かう(ハプスブルグの面影を求めて:その16)

なんとかシュンゲン域内に入ったので、バスを乗り継げば今日の目的地コシチェKosiceに着けそうだ。だが、もっと早くつく方法がひらめいた。ヒッチハイクを続行すればいいのだ。
 

ウクライナ国境でのせてくれたバスのドライバーに、地図を見せ国際列車の通るルート上の何処かで降ろしてくれるか聞いてみた。
 
 
「いいよ」と快諾を得たので運が良かった。コーヒーでも飲んで、とチップを渡そうとしたが、「要らない。でも大丈夫」と運ちゃん。実直そうな彼に感謝した。

昔の映画を見ると、主人公が田舎で見知らぬ人の馬車に乗せてもらうシーンがある。

敵対関係になることもあれば、民族を意識しない相互扶助の精神が息づいているのかもしれなかった。

 同じヨーロッパ、100年前までは同じハプスブルグ帝国内、そして第二次大戦中から戦後にかけての混乱期、人々はどの様な交流をしていたのか?  これも気になるテーマだ
 
短いウクライナの空を彼方に眺めながら、バスは国境を後にした。
 

 
キリル文字が消え、建物の作りも変わっていく。そして広告の量が変わり、工場の看板も増えていく。

今やスロバキアは自動車部品業の進出が著しい。この街MICHALOVCEにも矢崎総業やプジョーの看板も見え、部品メーカーの工場もあるようだった。人口は4万人弱

道路もこころなしかウクライナよりは良かった。EUの補助金が投入されているのだろうか。

バスはMICHALOVCEの鉄道駅に着いた。目の前にはバスターミナル。ヨーロッパでは駅は町外れにあるのが定番。鉄道駅と長距離バスターミナルが別々の場所にあるケースもしばしばある。

列車時刻表を調べたら、当初よりも早く到着できそうだった。

客車列車に乗り込み、車窓を楽しみつつコシチェに向かった。
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2014年8月13日水曜日

留学準備(日本の古典的映画を見る 放送大学生は国立近代美術館フィルムセンターは無料)

 大学院留学準備というと、アカデミックイングリッシュ、リサーチメソッドと言う事は当然なのであるが、その前段に、「日本に生まれた意味ないしアイデンティティ」について考えておく必要もある。

 文化的バックグラウンドと言い換えても良いかもしれない。これは現在の流行と完全には一致しない。

 付き合う相手は知的エリートの対象として大学院生を看做す場面もある。今後の人生でも直接、お金を稼ぐことに直結しないが、重要な判断をする際に必要な心構えを持っているに越したことは無い。

 今はやっている音楽、ファッションの知識もあったほうがよいが、同じ位に重要なのは、自国の文化を英語で語る、ないしそこまで行かずとも、要点や勘所、そして英語でのキーワードを知っている事である。

 自分の好きな絵画でも、伝統芸能でも、お祭りでも良いと思う。映画はまとまった時間で情報を吸収できるので効率も良い。勿論、何度でも観て楽しむ事もできる。

 特に1960年代までの日本映画は、古典的題材に巨額が投じられ、当時のトップスター達が演じている作品が沢山ある。

 寮で知り合ったイスラム教徒のインド人は宮本武蔵の「五輪書」に強く関心を示していた! 彼の専攻は商業法ではあったが、東洋の偉人について造詣が深かった。こういった時、何も知らないと語る事が出来ない・・・・


大学院留学を漠然と考え始めていたら、古典的映画を見るのもお勧めだ。


三船敏郎演じる宮本武蔵。
海外では「SAMURAI」として知られている



 特に東京国立近代美術館フィルムセンターは活用しがいがある。映像関係の学部だけでなく、放送大学を含む提携校は「無料」で見られるケースが有る。

http://www.momat.go.jp/fc.html

一般教養を身につけさせる、という放送大学の設立趣旨に相応しい特典だ。

社会人をしながら留学準備を行っている場合でも、放送大学の特典は色々と使い道があるだろう。

(2014/8/13記)

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2014年8月10日日曜日

東欧ビジネス戦記―ある商社マンの記録(冷戦下のチェコスロバキア) 執念とロマン、絶望と再生の記録

 冷戦下、といっても大学院留学を考えている諸兄諸姉の生まれる前の話で、「ベルリンの壁崩壊」などと言ってももはや遠い歴史上の事なのかもしれない。

 その時代の中東欧については、主に現地留学組かジャーナリストによる著作が多いが、日商(現双日)の商社マンが、社会主義体制下で売り込みを賭け、味方になってくれた現地の人々も含め活写した作品だ。

 この著作が「ビジネス絡らみのエッセイ」とも「学者のエッセイ」とも大きく異なるのは、人生の栄光と挫折そして再生の記録である事だ。

 著者は絶好調のさなか難聴となり商社を退職せざるを得なくなり人生の絶望に立たされた折にベルリンの壁が崩壊。かっての「ビジネス戦記」を書く中で本来の自分を取り戻して行く再生の物語でもある。

東欧ビジネス戦記―ある商社マンの記録



 体制は違えども、人間の営み、感情には共通のものが有る事や複雑な各国の民族意識の違いも浮き彫りになっている。

 こういった諸先輩方の知られざる活躍のもと、敗戦後の国際状況下、日本は高度成長を遂げていた事を一人の男の視点から活写している。

 私のブログのタイトルは、大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)に影響されて付けた物だが、此方の本も「戦記」である。
 こうした諸先輩方の様に華々しくは無いが、自分の学びの集大成としても自身のブログを死ぬまで書いていきたいと思う。

 そして、「東欧ビジネス戦記」の著書がライフワークとして、著作に登場させた人々の「その後」を現地ルポした続編をWebサイトにアップしているので併せて一読を薦める。



2014年8月5日火曜日

留学準備(パーティーや就活を意識した服・靴は要持参)

 もう、ファウンデーションコースで学ぶ人、9月中旬の入寮の準備をする人、他国からシフトして留学を続ける人、色々な立場の人がいると思いますが、男女とも、パーティーや就活を意識した服は用意しておいた方が何かと良い。

Birkbeckの校舎

 
 服は現地でも仕立てが出来るが、靴は盲点だ。

日本滞在中に履き心地の良くスーツ等に合うものを用意しておこう。女性はヒールを選ぶならば、(1)往復はタクシー等に乗る(2)男性にエスコートしてもらうなど治安面からの考慮も必要。

 以前紹介した、大学の学生寮にいると優先権がある、アン王女御臨席の創立記念式典などに出るのならば、相応の服装が必要な事は理解できると思う。

 ロンドン大学創立記念式典とイギリス陸海空軍に思う(以前の記事)

 ロンドン大学の創立記念式典(公式HP)

 また、就職活動、あるいは教育の一環としての国際機関訪問、政治家とのパーティー等々も場合によっては視野に入るだろう。

 勿論、ここぞといったときのデートやオペラ鑑賞(特にウィーンなど行く場合)、教会のミサ参加など、女性ならばなおの事、服装やバッグ、靴のコーディネートも重要になってくる。

 学業の準備もさることながら、要所要所でイベントに参加できると大学院生活に深みが増すので是非チャレンジして欲しい。

(2014/08/05記)

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2014年8月1日金曜日

国境免税のカラクリ(ハプスブルグの面影を求めて:その15)

 バスはスロバキア側の検問所の手前でUターンし駐車場に停車した。

国境では写真撮影は制約が多い

 バスの客も、国境で一緒にヒッチハイクした兄ちゃんたちも一斉に駆け出して行った。

ウクライナとスロバキアの間には、免税店がある、皆、それがお目当てだった。

    車だけの国境、という事情の一端が読めて来た。歩きでいいなら、近隣から来て混雑してしまうからかもしれなかった。
   さっきの兄ちゃん達は、スロバキアに住んでいるのだろう。


   バスの中は自分独りだった。いつバスが出発するかもよく分からない。 国境線上で取り残されるのは絶対にマズい。

   ドヤドヤと人々が戻ってきた。30分位は居たのであろうか。バスはノロノロとようやく、スロバキア側の検問所に移動した。

 係員が再びパスポートを回収していく。そして全員が降ろされ、X線検査機のある別室に移動した。銃器の密輸を防ぐ為だろうか。麻薬を探す犬たちもいたようだ。

ウクライナ産ビールは持っていたが、本当は免税店でウォッカが欲しかった・・


  列に並ぶと老婆がウォッカの瓶を手渡し「○×△□oooooOOO」と言ってきた。他の人は1本ずつ持っているので、規則を超えて買ってきたものを税金払わないで済まそうとしているようだった。
    「言葉も通じない独りだけいる東洋人に預けるかいな??」と思って英語で、「責任持てないよ」と何回かジェスチャー混じりで断わったら分かったらしく、他の老人に頼んでいた。皆大笑いだった。係員はいないので、まあいいけどユル過ぎる。

スロバキアナンバーのバスでスロバキア国籍の人々は比較的簡単な扱いのようだった。。しかしウクライナナンバーの車では荷物を全部だし、トランク内も開けられ麻薬捜査犬も鋭い目つきで越境者をチェックする

   ドイツの肝いりで国境管理システムが導入されたと聞いている。 シュンゲンエリア外のあらゆるリスクをここでブロックしなければ、EU圏が混乱に陥る。


美しい空には国境は無かった

    しかし、国境とは何だろう、といつも考えさせられる。

    なぜなら、物理的に生まれた距離が違うだけで、同じ民族的ルーツをもっていたとしても法的に持つ権利がことなってしまう可能性があるからだ。

   そんなことを考えながらバスに戻った。

   さて、スロバキア側の国境で接続するバスはきちんと乗れるのだろうか? ある考えが閃いた!(続く)


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