2013年4月26日金曜日

「カイゼン」 in 学生寮

 学生たちの騒音対策のアイデアを見て、ふと前職を思い出した。

今回は、彼らのユーモアあふれる「カイゼン」を取り上げたい。

 日本のメーカーでは 絶えず「工夫」させる「カイゼン」の仕組みを導入した所が多い。トヨタが旗振りをして普及させ、今では、サービス業や、自治体、自衛隊などにも活動が導入されている。

 コストダウンだけではなく、チーム内部での「カイゼン」提案件数やチーム対抗で創意工夫を引き出し、「褒める」場を増やし、コミュニケーションの進化、意識改革や人材育成として活用している。勿論、成果を低コストで引き出す冷徹な計算もある。

  さて、本題。 

 いよいよ試験シーズン到来、だが、おしゃべりな学生たちは所構わず、夜中でも大声で話し続ける。自室で集中したい学生にとって悩み深い事は既報の通り。 「ノイズキャンセリングホン 」「手紙作戦」「寮長直訴」など筆者もいろいろ試した。

 皆が、ついつい長話をする傾向があるエレベーター前の部屋は最悪の立地だ。

 その部屋の住人の「カイゼン」の成果はこれである。 




 
  この部屋の住人は、相当頭に来ることが多いらしい。

 チャーミングで社交的なインド系の彼女もいちいち、文句を言うのに疲れたのか、とうとう、シスターが「シー」とジェスチャーしているイラストのポスターが貼られた。

Dear Friends
Exam/Coursework times are getting closer...

And living opposite the lift is like living with no door...

I would immediately appreciate
if you could keep noise levels down in the morning
(i.e. Breakfast time....)

Thank you and have an awesome day (笑顔マーク)

拙訳:「いよいよ試験シーズン到来、エレベーター前に住んでると、ドアなど無いのと一緒なのよ・・・・・朝の時間のうるさいのをやめて欲しいんだけどな(怒!)・・(特に朝食後とか・・・・) ありがと、楽しい日を送ってね!」

 
 何と言っても、ドアは防音効果全くないシロモノだ。

  (薄いのは、イギリス流のどケチ精神の発露?)

 加えて、日本人に比べ、やたら声がでかい連中が多い。
 

 彼女に心から同情したい(笑)
 

 
学校も生活時間も違うのでめったに会わないが、
彼女とメールでやりとりをしていたら、

「いちいちうるさいと言ったり、管理部門へのメールとか手ぬるい事じゃ、
 不特定多数には無力。 耳栓でもダメだった。面白おかしいポスターなら、
 人の目を惹くかなって思った」とのことだった。

効果はてきめん。

深夜、廊下で話す輩も減った!

必要は成功の母。

I haven't failed, I've found 10000 ways that don't work (エジソン)

我が事になれば「カイゼン」が生まれるのだな・・・


 余談ではあるが、日本の「カイゼン」、マンネリズム批判もあり、また改善活動自体が経営革新を阻害しているという批判もある。

日本的経営の興亡―TQCはわれわれに何をもたらしたのか という本が興味深い。 

一方で、日本の製造業の強みの一つとされているが、製造業の中にも現場を知らない(知りたくない)幹部社員、間接部門や部下を持たない参謀の中に「カイゼン」を軽視する者もいる。 

もちろん、戦略の失敗を戦術で取り返す事は不可能だ。

戦略の失敗を改善で取り返すことはできない。

トップ層が執念を持って戦略立案・実行に取り組まねば社員は犠牲になるだけだ

 
 
いずれにせよ、ボトムアップとトップダウンの相乗効果が、理想的なのだが・・・ 

皆さんの周りはどうだろうか?


さて、寮の話の続きに戻そう。  

 11時以降は寮のルール上、静かにすることになっている。

が、夜中の2時3時になっても、エジプト人女性と、トルコ人の兄ちゃんが、毎晩のように延々と廊下で話していた。 

このエジプト人、上記のインド系の女の子のはす向かいの部屋。彼女たちは恐らく「冷戦状態」にあったはずだ(笑)
 
 
 

そして、不思議な事に、このエジプト人女性の声が、時々、トルコ人の兄ちゃんの部屋から聞こえてくる。

 トルコもエジプトも一夫多妻制のイスラム圏。世俗国家になって長い・・・確か、トルコ人の兄ちゃんには奥さんを紹介された事があるのだが・・・・・・まあいいか。

ドアが薄いと、知りたくないことも知ってしまう気もする・・・


件の弁護士の部屋のドアにはトルコ語で「妻とともに」とある。
なかなか味わい深いブラックジョーク、とも読める。

(2013/04/26)

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2013年4月18日木曜日

クレクレタコラ(陳情型社会を考える)

今回は、ちょっと視点を変え日本国内の事例からイギリス社会との比較をしたい。

  東京・青山にある「こどもの城」が20153月末に閉館されるとなり、署名活動も始まったようだ (こどもの城、青山劇場、青山円形劇場、残して!)


 「こどもの城」に特別の思い入れはないのだが、存続する意義は有りうるのだろう。が、情緒に訴える形での署名・陳情進行になっているのが気になった。

 施設内の青山劇場、青山円形劇場も閉鎖されるためか、陳情賛同者にはアーティストの人たちも目立つ。

      
  岡本太郎氏のモニュメントが印象深いが、こういった豪勢な建物で子供向けに特化した施設は、イギリスやドイツでも印象に残っていない。


   こどもの城に限らず、日本の公共セクターにおいて、大規模な施設を建設するは良いが、運営・存続するための基金や経営という視点が欠けていたように思える。運営自体は厚生労働省の外郭団体のようだが、施設に対する権限を持ち得てない模様だ。

 

  旧軍の「軍の部隊は派遣するが、補給は現地調達で賄え」といったやり方とまったく同様である。例えは悪いが「戦車の交換用部品が無くなりそうので全部隊撤退」ということで、「そこで戦い続けた意義や教訓を考慮せず撤退」という冴えない展開だ。



  例えば、この施設で言えば、「この施設にある貴重なビデオライブラリも閉館後の行き先・活用方法が決まっていない」との指摘が署名を求めるブログでなされていた。



    ただ、ここでは存続前提とした場合の、これからの「受益者負担」をどう考えるかがポイントになるだろう。

  子育てにコストという視点を持ち込むのは不謹慎、という意見もあるだろう。が、では野放図に増やしていってもいいものだろうか? と言う視点もあるはずだ。



  芸術支援も同じ事で、「その芸術活動を支援する事で社会にどう貢献できるのか」を説明できなければ、公的支援は難しいだろう。勿論、政府に媚よ、と言うことではない。どうしても好きなら、支援の関わりなく、自腹でやれば良いだけのことである。「大切な理由・効能」を知らしめる必要がある。



設立母体となった厚生労働省の説明として、向こう10年での修繕費用120億かかるということで閉館を決めたとのこと。一方で、施設側の説明では年間80万人以上来ると言うことであるから、慣らして一年間12億を80万人で負担させたらどうなるのか、つまり一人1,500円負担増とすれば受け入れられるかどうか。利用者数にカウントされているかは不明だが、青山劇場のチケット代等にも転嫁する事も考えうる。


勿論、利用者から「負担増は受け入れがたい」といった形での反発は想定のうちだ。修繕費用のコストダウンや、運営効率化・競争入札による運営受託コストダウン・第三者委員会での定期的な監視などで、受益者負担増を減らす工夫を行う事には関心が無いのだろうか。


   各地方自治体は赤字基調で苦しむところも多く、彼らにしてみれば東京の一等地にある施設を直接利用する事は不可能だから、「こどもの城」から情報提供を受けうるなどしている児童館関係者以外の関心は高いとは思えない。事実上、東京の中心部に住む人たちのための施設と認識されているだろう。



バブルの頃よりは東京の魅力も低下したかもしれないが、青山の一等地である。オフィスビルを含む複合施設に建て替え、地上権の売却費用で修繕・耐震費用を含めたコストを拠出するアイデアだってある。

オリンピック関連施設としても使えるのであれば、猪瀬知事が、こういったプロジェクトに注目するかもしれない


存続運動には、合わせて、取り壊されるであろう「青山劇場」に関係する関係者のホリプロ、ナベプロなども賛同しているようだ。彼らの知恵を運営面で生かすなどの工夫も有りうるだろう。かれらは興行の場所を失う訳だから、基金を拠出するなどでマスコミの注目をひくことも可能であろう。


イギリスでも劇場間競争は激しい。果たして日本では、競争が意識されているだろうか? まだまだ、日常生活の中で観劇は特別なものではないだろうか? レピーターを増やし、経営を安定させるためには、パイを広げる努力とコストダウン、芸術と経営のバランスを高いレベルで保つといった視点も必要ではないだろうか。勿論、市民側も関心を持ち続け、観劇を継続することこそ、彼らの存続に寄与することになるのだが。


故サッチャー路線には功罪半ばするものが有るが、受益者負担を求め、国立大学を含む、公共セクターも独立採算によるマネジメントが施設運営の肝になっていると観察している。国民全員が直接受益者では無いものは、独立採算制に移行している。各組織は存続意義を常に訴えかけている、その宣伝能力には学ぶところが多い。


実は、「こどもの城」の改修問題は、これから我々にのしかかってくる財政問題の先駆けである。「公共施設」の受益者負担をどう考えるか。国力がひところの勢いを失って久しい中で、税収は増えない一方、社会保障費・公共財産の更新費用・防衛費等々が増える一方である。


その中で「あれもこれもほしいが負担は嫌よ」、という「クレクレタコラ」では通用しなくなる日が来る。





受益者が国・社会に負担を求めるならば、国・社会への継続的な貢献(知恵・金・労力)をどうするのかという視点も陳情と同時に考えてほしいものだ。
    敢えて厳しい意見を記したが、「こどもの城」の意義・教訓が生かされることを心から望むものである。

    さて、最後になるが、受益者負担とは違い、イギリスで目立つのは「寄付」の考え方である。 様々な思惑はあるだろうが、 街中でもWebサイトでも目にしない日は無い。

特にイギリスの公共施設で際立つのは「Donation Box」の存在だ。施設の有償・無償に関わらず、「意義を見出せば気軽に寄付」できる。


おせっかいなことに「寄付額のサジェスチョン」も無料の博物館等にはよく掲示されている。 

加えて、博物館・美術館では、税制上優遇が受けられる寄付金やボラティアの募集も常になされている。

いずれにせよ日本でも、もっと気軽に寄付しやすく、中間搾取が無くすべてが本来の使途に使われるような仕組みが欲しいところだ。

おまけ:クレクレタコラの動画はこちら

(2013/04/18)


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2013年4月10日水曜日

放置するのがイギリス流

ロンドンの町並みは遠目に美しい所が多い。
電柱が地下に埋まっており、
多くの建物は同じ階数でそろっているからだろう。


この「すっきり感」に慣れてしまうと、日本の街を歩きたくなくなってしまう。

そして、それなりに交通安全にも気を使っているようだ


黄色い風船の様なものが交差点に立っている

このポールがあると「歩行者最優先」の交差点。
歩行者が渡ろうとする場合は車は必ず一時停止しなければならない。


信号には監視カメラ。

信号無視をすると映る仕組みで罰金確保に一役買っているかもしれない



 しかし、全面的に安全に優しい訳ではないのがイギリス流だ。

信号の無い交差点は、自動車優先

 特にタクシーはウインカーを付けずに曲がってくることがよく有る。

意地で、横断の邪魔をしているんじゃないか、と勘繰りたくなる。


歩道は相当に酷い(日本に比べ「イギリスが酷いな」と思うのは食事だけでない)。


 
 歩道に敷き詰めてあるタイルが浮いていたり、ぐらぐらしたりするのでこけそうになる事がしばしばある。

 雨が降るとその中に水がたまるので、うっかり「浮きタイル」に乗っかってしまい、両足に水がかかってしまい不愉快な思いをすることもある。


 
  この手の話は修繕されることなく、放置されっぱなしである。

外観から気がつきにくいので、運が悪いと諦めるしかない・・・・

浮き石ならぬ、浮きタイル

イギリス流で行けば、「直すコストは誰が払うの?」という

先般亡くなった、サッチャー元首相の声が聞こえてくるようだ。

彼ら流に言えば、「どうでもいいことは放置!」なのだ

危険は足下だけではない。

 工事現場の足場には、シートをかぶせていない事も多く

作業員は命綱を付けていないし、足場から資材を下に良く放っている。

こういった危険仕事には、移民が多く従事しているように見受けられる。

英語でない言葉もとびかっている。 
 
 

ありていにいうと、「万事が雑」なのだ。

お互いのビルを壁で支え合っていたりショボイ建物もたくさんある。



壁崩落を防ぐ知恵(?)

 地震が無いから問題はないのだろうが、あまり近寄りたくない景色だ(笑)

 筆者は、工事現場が見えたら、大回りして歩くことにしている。

何かに巻き込まれても、彼らに補償能力があるとは到底思えないからだ。


 道だけではなく、品質放置は、店舗には行っても同じだ。

  土産物屋でラッピングを頼むと、これでもかと言うぐらいに下手に包むので、「自分がやった方がまし」、とイギリス人の英語の先生が嘆いていた位だ(苦笑)

以前にも書いた(「返品が常識!」)ように、日常は「事後対応」である。

 
  その場の対応が多く、解決しても効果の小さい根本原因は放置するのがイギリス流だ。

但し、彼らの名誉のために、申し添えると

たいていは丁寧な口調で対応(オックスフォードやロンドン)はするので

あまり不愉快にはならなかった。

 権限を超えるモチベーションがないだけのことであり、社会全体が

「まっいいか、どうしてもダメなら交換すれば」という品質レベル要求なので、

一人ひとりにはさほど悪意がない

(失業の多い地帯はちょっとした瑕疵でも値段交渉に持ち込むなど
 別の様ですが、未確認)。

これを理解するのに暫く時間がかかった。


基本的に、日常レベルの瑣末な不便は出来る限り放置して、

やむなくなった時点で対応するのがイギリス流なのだ。


 これがドイツだったら、延々と自分の権利主張を述べ続ける人たちに

出くわしたりして不愉快な局面に陥ることさえあったりするのだが、

国情の違いを考えさえられる。

 

 そのかわり、戦争や諜報活動といった長期的・戦略的な事項に関しては、

周到すぎる、日本人の感覚からすると、あるいは

「そこまではやりすぎじゃないの?」 

ということまで徹底してやる欺瞞工作の例)。


その中に「ジョーク」が紛れ込ませてある辺りがイギリス流なのだが・・

MI6が求人を雑誌に載せているあたりも、半分はジョークに思われる。

過剰品質(だった)日本もどうか、と思うが・・・

これで日本よりも物価が高いのはどうなの、って気がする。


ショッピング意欲を失わせる脱力アイテムが揃っているし・・・

イギリスが「ぼったくり」、なのか、日本がダンピングし続けているのか?

歩きながら、そんなことを考える春の日々、

今日も知らない街の「浮きタイル」で危うくよろけそうになった・・・

そんな筆者をロンドンは、しらっと放置しているのであった。


ロンドンのミニ秋葉原(Tottenham court road)の電気屋さんの看板、懐かしいブランドが並ぶ、「COMPAQ」「JVC」「aiwa」「Technics」・・・・とうに無くなっているにもかかわらず、堂々と看板を出しているあたり、ここでも「放置するのがイギリス流?」

(2013/04/10記)

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2013年4月3日水曜日

命のコストとペニシリン(博物館訪問記)


ロンドンには、実に様々な博物館がある。イギリスの博物館の一部については既に「イギリスにおける博物館・趣味関係のソサエティを考える」で言及したが、英国博物館協会によればイギリスには約2,500の博物館があるという。 開館日限定の小さな博物館も散見される。「漱石博物館(80b The Chase, London, SW4 0NG HPなどもそうであろう。今回は、ペニシリン発見者を顕彰する「Fleming Museum(英文リンク)」を訪問した。

こちらはフレミング博物館


1929年に細菌学者のフレミング(Alexander Fleming)によって偶然に発見されたものであるが、その後1940年にオックスフォード大学のチーム(オーストラリア人Howard Walter Florey とナチドイツからのユダヤ系(と博物館職員に確認済)亡命者Ernst Boris Chain)がこの発見を再評価し、工業生産に光筋が付き、さらにアメリカの薬事会社により大量生産が始まった。
結果的に連合軍側に効果的に使用された事(北アフリカ戦線やノルマンディ上陸作成)が、展示や紹介映像で強調されていた。前述の三人は1945年度のノーベル生理学・医学賞を受賞している。一方、日本でも第二次大戦中にドイツからの情報を通じて少量ながら生産に成功したが大量生産には至らなかったとのことだ※1。

重要な教訓は幾つかある。一つは、異なる分野の技術者達が一つの発見をもとに工業化までの光筋をつけた、今風に言えば学際間での分担と協業の重要性がある。 

いま一つは、「命のコスト」というアングロサクソン流の冷徹な観点である。 熟練した兵士達を失う事で長期での勝敗が決する事を何よりも恐れていた。ペニシリンの活用は、「コストダウン」と言う観点から重要であった(筆者は、人をモノ扱いすることには賛成しないが、彼ら流のロジックからすればこういった分析になる)

「人命重視」という個人尊重という観点もあろうが、国家運営上の観点では「取引」と見なしている一面もあるので注意が必要だ。それが証拠に「帝国戦争博物館(Imperial War Museum)」などに行くと各戦争の説明の最後に「Cost」という項目があり「戦費・人的・物的損失」が記載されている事がある。

その延長線上で、広島や長崎の原爆は「日本上陸での連合軍の被害(と日本側の被害)を最小限にするべく原爆を投下し降伏を決定づけた」と正当化しているのである。 
ロンドンに行くならば、この博物館を訪問して頂きたい。広島型原爆のコピーが置かれておりイギリス人の親子たちが屈託ない顔で記念撮影する姿を皆さんの目で確かめて欲しい

無論、記念写真を屈託なく取っていることを容認しているイギリスや最初に核のボタンを押したアメリカが、万が一、核攻撃や核テロを受けても同情はされないだろう。

彼ら流の論理で言えば、「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」とマタイ伝(福音書26章52節)にあるのを承知でやっている訳だ。

 
帝国戦争博物館における広島型原爆のコピー
いずれにせよ、現時点での公式評価は、彼らにすれば「取引に競り勝った」ということなのだ。無論、そう考えない欧米の人たちがいるのも承知しているが、国家の公式見解は冷徹な「損得勘定」である。
日本人からすればショッキングな話であるが、これもまた現実。彼ら彼女達を説得或いは納得させなければ核兵器の恐怖をミニマイズできないだろう。京都に原爆を落とさなかった理由も費用対効果が合わなかったためであり、文化的遺産を守るためではなかった。
こうした「コスト」の観点で考えると、連合国側では「脱走推奨・捕虜尋問時にデタラメを話す(後方撹乱)」「闇雲な突撃の抑制(捕虜になっても次の戦いに参加できる可能性がある)」が推奨されていたことが納得できる。 個人主義という観点もあろうが、一人ひとりの将兵を育成するコストが多大なものであり、持久戦を継続するにあたって何よりも貴重な資源であるからだ。 
例え捕虜になっても脱走すれば、前線に割く勢力を一兵でも削ぐことが可能となり、敵国内の責任問題等を煽る事で団結を削ぐ事もできるから、一石二鳥である。
考えようによっては、戦闘で負けても「しぶとく生き残る」ことこそ長期の持久戦を戦い抜く「負けない生き方」なのかもしれない。ペニシリンの再評価・大量生産も、長期的に諦めなかった結果とも考えうる、
ペニシリンからは、「学際間の協業(横の連携)」「戦争(社会活動)におけるコスト」「しぶとく考え行動し続ける」という3つのアイデアを想起する事ができるのだが、日本にあってその点に於いて官民ともども徹底されているだろうか、と考えているところである。
歴史に興味ある学生だけでなく、自然科学、公衆衛生、あるいは医師過程に進んでいる諸兄諸姉にも是非、訪れてほしい場所である。なお、英国博物館協会や日本の博物館事情については宇仁義和氏のHPが判り易く、興味深い。
博物館では、案内役の職員(ボランティアかも)たちと雑談。質問すると色々と教えてくれる。 空腹を感じたので「Dinings」を再訪。「フォアグラ鰻丼」を食す。
フォアグラ鰻丼

米がちょっと堅かったが、フォアグラと鰻のコンビネーションは新鮮だった、サイドディッシュで天ぷら、味噌汁付なのは嬉しい。前回は天ぷらを食したが、これも新鮮な食材で質量ともにリーズナブル。日本人シェフが運営、現地スタッフは元気のいい接客だ。大通りから一本入った立地だが、地元のビジネスパーソンで繁盛している。コスパの良いランチタイムがお勧めだ(寿司メニューも充実しているが未食)。

Dinings (★★★★★)※他店の評価はこちら

22 Harcourt Street, London W1H 4HH, England (Marylebone)

020 7723 0666 http://dinings.co.uk/

Sushiだけでなく独仏英での最近のラーメン競争は激しい。激しい出店ラッシュだ! ドイツでの状況はこちら

※1 「碧素・日本ペニシリン物語 (1978年 角田 房子 )」には戦時中に組織化された日本の国家的研究プロジェクトとしてのペニシリン研究が活写されているようなので帰国後、読了したい。
(2013/04/03記)

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