2013年4月18日木曜日

クレクレタコラ(陳情型社会を考える)

今回は、ちょっと視点を変え日本国内の事例からイギリス社会との比較をしたい。

  東京・青山にある「こどもの城」が20153月末に閉館されるとなり、署名活動も始まったようだ (こどもの城、青山劇場、青山円形劇場、残して!)


 「こどもの城」に特別の思い入れはないのだが、存続する意義は有りうるのだろう。が、情緒に訴える形での署名・陳情進行になっているのが気になった。

 施設内の青山劇場、青山円形劇場も閉鎖されるためか、陳情賛同者にはアーティストの人たちも目立つ。

      
  岡本太郎氏のモニュメントが印象深いが、こういった豪勢な建物で子供向けに特化した施設は、イギリスやドイツでも印象に残っていない。


   こどもの城に限らず、日本の公共セクターにおいて、大規模な施設を建設するは良いが、運営・存続するための基金や経営という視点が欠けていたように思える。運営自体は厚生労働省の外郭団体のようだが、施設に対する権限を持ち得てない模様だ。

 

  旧軍の「軍の部隊は派遣するが、補給は現地調達で賄え」といったやり方とまったく同様である。例えは悪いが「戦車の交換用部品が無くなりそうので全部隊撤退」ということで、「そこで戦い続けた意義や教訓を考慮せず撤退」という冴えない展開だ。



  例えば、この施設で言えば、「この施設にある貴重なビデオライブラリも閉館後の行き先・活用方法が決まっていない」との指摘が署名を求めるブログでなされていた。



    ただ、ここでは存続前提とした場合の、これからの「受益者負担」をどう考えるかがポイントになるだろう。

  子育てにコストという視点を持ち込むのは不謹慎、という意見もあるだろう。が、では野放図に増やしていってもいいものだろうか? と言う視点もあるはずだ。



  芸術支援も同じ事で、「その芸術活動を支援する事で社会にどう貢献できるのか」を説明できなければ、公的支援は難しいだろう。勿論、政府に媚よ、と言うことではない。どうしても好きなら、支援の関わりなく、自腹でやれば良いだけのことである。「大切な理由・効能」を知らしめる必要がある。



設立母体となった厚生労働省の説明として、向こう10年での修繕費用120億かかるということで閉館を決めたとのこと。一方で、施設側の説明では年間80万人以上来ると言うことであるから、慣らして一年間12億を80万人で負担させたらどうなるのか、つまり一人1,500円負担増とすれば受け入れられるかどうか。利用者数にカウントされているかは不明だが、青山劇場のチケット代等にも転嫁する事も考えうる。


勿論、利用者から「負担増は受け入れがたい」といった形での反発は想定のうちだ。修繕費用のコストダウンや、運営効率化・競争入札による運営受託コストダウン・第三者委員会での定期的な監視などで、受益者負担増を減らす工夫を行う事には関心が無いのだろうか。


   各地方自治体は赤字基調で苦しむところも多く、彼らにしてみれば東京の一等地にある施設を直接利用する事は不可能だから、「こどもの城」から情報提供を受けうるなどしている児童館関係者以外の関心は高いとは思えない。事実上、東京の中心部に住む人たちのための施設と認識されているだろう。



バブルの頃よりは東京の魅力も低下したかもしれないが、青山の一等地である。オフィスビルを含む複合施設に建て替え、地上権の売却費用で修繕・耐震費用を含めたコストを拠出するアイデアだってある。

オリンピック関連施設としても使えるのであれば、猪瀬知事が、こういったプロジェクトに注目するかもしれない


存続運動には、合わせて、取り壊されるであろう「青山劇場」に関係する関係者のホリプロ、ナベプロなども賛同しているようだ。彼らの知恵を運営面で生かすなどの工夫も有りうるだろう。かれらは興行の場所を失う訳だから、基金を拠出するなどでマスコミの注目をひくことも可能であろう。


イギリスでも劇場間競争は激しい。果たして日本では、競争が意識されているだろうか? まだまだ、日常生活の中で観劇は特別なものではないだろうか? レピーターを増やし、経営を安定させるためには、パイを広げる努力とコストダウン、芸術と経営のバランスを高いレベルで保つといった視点も必要ではないだろうか。勿論、市民側も関心を持ち続け、観劇を継続することこそ、彼らの存続に寄与することになるのだが。


故サッチャー路線には功罪半ばするものが有るが、受益者負担を求め、国立大学を含む、公共セクターも独立採算によるマネジメントが施設運営の肝になっていると観察している。国民全員が直接受益者では無いものは、独立採算制に移行している。各組織は存続意義を常に訴えかけている、その宣伝能力には学ぶところが多い。


実は、「こどもの城」の改修問題は、これから我々にのしかかってくる財政問題の先駆けである。「公共施設」の受益者負担をどう考えるか。国力がひところの勢いを失って久しい中で、税収は増えない一方、社会保障費・公共財産の更新費用・防衛費等々が増える一方である。


その中で「あれもこれもほしいが負担は嫌よ」、という「クレクレタコラ」では通用しなくなる日が来る。





受益者が国・社会に負担を求めるならば、国・社会への継続的な貢献(知恵・金・労力)をどうするのかという視点も陳情と同時に考えてほしいものだ。
    敢えて厳しい意見を記したが、「こどもの城」の意義・教訓が生かされることを心から望むものである。

    さて、最後になるが、受益者負担とは違い、イギリスで目立つのは「寄付」の考え方である。 様々な思惑はあるだろうが、 街中でもWebサイトでも目にしない日は無い。

特にイギリスの公共施設で際立つのは「Donation Box」の存在だ。施設の有償・無償に関わらず、「意義を見出せば気軽に寄付」できる。


おせっかいなことに「寄付額のサジェスチョン」も無料の博物館等にはよく掲示されている。 

加えて、博物館・美術館では、税制上優遇が受けられる寄付金やボラティアの募集も常になされている。

いずれにせよ日本でも、もっと気軽に寄付しやすく、中間搾取が無くすべてが本来の使途に使われるような仕組みが欲しいところだ。

おまけ:クレクレタコラの動画はこちら

(2013/04/18)


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ちょっと厳しい論調ですね・・・

地方での博物館が閉鎖になっていくのも財政難から、ということで、一抹の寂しさを感じてしまいます。

http://www.j-cast.com/tv/2011/05/14095478.html

Erich1970(エリック藤牧) さんのコメント...

匿名さん、おっしゃる通り、辛口かもしれません。 ですが要求だけしても通らないものは通らないと考えます。既に税金・社会保険料が高い、官僚的発想が悪い、という指摘も当然、正しい部分がありましょう。

 しかし、比較的治安が良く、日常的に賄賂を公務員に渡さずに済む社会を維持するためには相応のコストがかかっていると見ることもできます。

 そういった中で、行政側が主張するとことと、受益者側とが歩み寄れる対案を政治家を通じ、出していかねば解決が難しくなるばかりではないかと考えます。

 当然に、行政側が自分たちの路線を修正するだけの柔軟度を持たねば成立しえない訳ですが、この点において政治家の決断を要する部分がありましょう。政治家も、現実的な対案があれば突破口にもなるでしょう。

 とはいえ、一筋縄ではいかない世界の難しさを感じてはいます。