毎年、VE-Day
(Victory-Europe Day ナチドイツ降伏の日) 前後に、ボヘミアの工業都市プルゼニ(Plzeň:ドイツ名ピルゼン)ではWW2メモリアルのフェスティバルが開かれる。1990年から、アメリカ軍による解放を大々的に取り上げ、元従軍将兵・大使館関係者等を招き、当時の車両を用いたパレードを目抜き通りで開催している。今回は、そのフェスに合わせ、プルゼニを訪問した。
装甲車
ハーフトラック(不整地走行に対応し後部がキャタピラ)
歴史授業で「チェコスロバキアはソビエトが解放した」と習った向きもいるかもしれない。確かにスロバキア方面から進撃した赤軍(ソビエト軍を英語ではThe Red Armyと呼ぶ)はプラハを解放した。しかし、南西ボヘミアはパットン将軍が率いるアメリカ第3軍によって解放された。
群衆に取り囲まれて行進は進む
女性の飛び乗り
記念碑から市の中心部まで当時の車両を用いたパレードが挙行された
チェコ軍記念碑に各軍関係者が献花
当時を知るベテラン(退役軍人)たち
当時を偲び再会
ピルゼンは輸送機器メーカー(シュコダ)の本拠地でもあり、戦時中はドイツの兵器工場としての役割を担わされたため、連合軍の爆撃にも有っている(今では鉄道車両等の製造会社)。
シュコダの工場
政治的な理由でプラハ解放はソビエトの役割となったが、アメリカ軍の駐留下(1945年11月まで)で、秩序回復とボヘミアに住むドイツ人追放が始まった。
筆者の知人にもズテーテンドイツ人(中世から現在のチェコに住んでいたドイツ系住民)がおり、財産も故郷を失い西ドイツに逃れた苦難の歴史を伺った事がある。
陸続きの場合、民族間の関係は複雑かつ微妙な問題である。ヨーロッパ内の一国を礼賛する事は避けた方が良いケースがままある。聞いている相手が礼賛した国に対し敵意を持っていることすらあるからだ。
また、出身国のマジョリティと本人の民族意識が異なるケースもままある。 ラトビア生まれのロシア人(国内の30%がソ連時代の移住政策によりロシア系)、クロアチア生まれのイタリア系住民(アドリア海沿いは歴史的経緯でイタリア系コミュニティが今でも存在する)、ロシア出身のユダヤ系カナダ人(冷戦終了後にイスラエルへの移住が相次ぎ、そこからさらにカナダへ再移住)・・・
本人に確認したり、名前等で推測したりして、それほど親しくない場合は、無用なトラブルを避けるように気を付けるのが必要もある。例え親しくても、相応の配慮をしたうえで質問等しなければならないケースもあるだろう。
特に国名を間違えたり忘れることは失礼にあたるので、大学院に留学するならば、国名・首都・位置は暗記しておくことが肝要だろう。逆に知識があれば、ぐっと親しみを感じる事が出来る。
専攻に関わらず、自国の歴史は良く知っており語る事ができるのが常識だ。日本にいるうちから特に近現代史は理解しておく必要がある。
ともかくも「水に流す」といった発想は通用せず、戦後70年近くたっても「忘れないようにする」事を国家単位で取り組んでいるのがヨーロッパ各国の実情である。
2 件のコメント:
ピルゼンは、ピスルナービールの発祥地でもありますよね。
やっぱり本場で飲むビールは違うんでしょうね。
写真のビールがとてもおいしそうです。
ピルスナービールの本家である「Pilsner Urquell」の工場もあり、見学・試飲できるようになっているようです。
今のピルスナータイプのビールは1842年に世界でピルゼンが最初に製造を始めたということで、お酒好きにとっても重要な場所の一つであります。
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