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2018年2月22日木曜日

野口久光 シネマ・グラフィックス展(新潟市美術館 2018/3/25まで)見学

 昭和を代表する映画ポスターのデザイナーであり、ジャズ評論家としても活躍した野口久光氏の作品展。

http://www.ncam.jp/exhibition/4004/



  2014年に京都で同様の展示があったのだが見逃してしまい、この映画ポスターを中心とした展示を4年越しで見ることができた。ここ数年の博物館・美術館めぐりの中でも、群を抜いて広がりを感じられるものであった。 来年(2019年)、横須賀でも同様の展示が行われるとのことなので、首都圏でも楽しめることになる。

 企画協力・監修を行っているNPO法人「NPO法人 古き良き文化を継承する会」
(http://furukiyoki.org/category/info/)の代表者の講演も興味深く、また大林監督が手掛けた『思い出は映画とともに』も映画の予告編を中心として映画を作るというユニークな短編ながら、映画の楽しさを改めて感じさせるものであった。
 
 映画には、それを昔見た高齢者に対する「回想法」により認知症予防や進行抑制などが期待・実感できるという効果があるとは思いもよらなかった。

  ポスター展示では、戦前のドイツ・オーストリア映画の数々、戦後はフランスものが圧巻していた。

 『野ばら』のポスターを見て驚いた。時はハンガリー動乱直後、逃げてきた子供がウィーン少年合唱団に入って成長していく話だったのか! まだまだ見ていない映画のオンパレードであった。
 
 また、行かれなかったが市民映画館とのタイアップ企画上映もあり、日本海側の拠点都市の心意気も感じられた。
 https://www.cinewind.com/line-up/#coming

 さて、映画全盛期のポスターのインパクトは如何ほどのものだったのだろうか。

深夜勤務が続いていたのでタクシーの運転手さんに聞くと、「銭湯によく貼ってあった」「今とは違い写真ではなくて絵だった」といった反応が返ってきた。「ああ、昔の映画を観たいな」とボソッと言ってくれた運転手さんもいた。

 行き会った人々の心に、一枚でも印象に残る映画ポスターがあれば、野口氏のようなデザイナーの人にとっても冥利に尽きることになるのであろう。

2018/2/22記

2014年3月2日日曜日

ウクライナ レジスタンスの光と影(ハプスブルグの面影を求めて:その6)

 リヴィウを訪問した目的の一つは、リヴィウが第二次大戦後も反ソ反独の独立派勢力(ウクライナ蜂起軍)の根拠地の一つであり、今、この地でウクライナ蜂起軍がどのように位置づけられているのかをこの目で見たかったからである。 ここは1945年迄、ロシア(ソ連)の歴史的な領土になった事が無いエリアだ。 

歴史博物館「解放の苦闘」分館 

 第二次大戦後、旧ポーランド領だったリヴィウはウクライナ=ソビエト共和国の一部となる。 そして、ウクライナ蜂起軍のリーダーであったRoman Shukhevychは、1950年にリボフで戦死している。 
 そのためか、この街には、今回訪れた歴史博物館「解放の苦闘」分館 (23-a Lysenka St.) だけでなく、指導者のRoman Shukhevychを記念するMuseum of General-Lieutenant of the UIA Roman Shukhevychの二つの展示がある。

 

歴史博物館「解放の苦闘」分館 

なぜ、この地に反ソ反独の気風が養われたのであろうか? ウクライナのおかれた歴史にある。

 ウクライナは現在では人口45百万人(世界27位)の比較的大きな国家であるが、13世紀のモンゴル侵攻以降、独自の国家を持たず近隣諸国の支配を受け続けてきた。カナダなど海外にいるウクライナ系移民も多い。
 
 大学院の寮で一緒だった、ウクライナ系カナダ人の留学生がウクライナの国章をペンダントに付けていたのを思い出す。彼女は自分のアイデンティティをウクライナに置いているから、と説明してくれた。 佐藤優氏によれば、カナダで3番目に話されている言語はウクライナ語だという。  

 ヨーロッパの穀倉地帯でもあり、天然の要害が無い。美女も多いが故に常に大国の狙う所となったのであろうか。

 ウクライナは、ロシアでの1917年革命以降、独立運動とソビエト化の流れが複雑に絡み合い、最終的にソビエトの一構成国になるのだが、 特にスターリン時代に、ウクライナの人口を減らす事と外貨稼ぎの一石二鳥を狙うため、「ホロドモール(穀物の強制輸出による人口的飢餓や強制移住)」が行われ、数百万~一千数万人の人々が亡くなっている。

 このような状況下、各国の境界に位置していた西ウクライナを背景に様々な政治活動が繰り広げられた。

1939年にチェコスロバキアから独立したカルパート・ウクライナの展示

 カルパート・ウクライナはチェコスロバキアが消滅する前に一部地域が独立したものだ。が、直後、ハンガリーにより併合されてしまう。戦後はソ連庇護のもと再独立。最終的にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の一部となる。


ウクライナ義勇兵からなる第14武装親衛隊 武装擲弾兵師団 
ガリーツィエン(ウクライナ第1)の師団章が左腕にある。


ナチスドイツの軍服を着たウクライナ兵(師団章で判る)

 その後、第二次大戦では独ソ戦の主戦場となり、ウクライナ人は、ドイツに協力する勢力、親ソ勢力、ウクライナ蜂起軍の三つ巴状態となり、第二次大戦後も1950年代まで治安が安定しなかった。シベリア送りになった指導者層も多く存在した。

シベリアの収容所の写真や生活の展示も有った


 隣接するポーランド領内もウクライナ蜂起軍の活動拠点であったため、共産政権下のポーランドがせん滅の軍事行動(ヴィスワ作戦)を実施した位に手強いものであった。

ウクライナ蜂起軍のメンバーたち

ウクライナ蜂起軍の拠点・要人等を示した地図。
右上の「赤と黒」は蜂起軍の旗



 このような抵抗運動を多くの日本人は経験していないので、理解しにくい部分も有るが欧州の人々のアイデンティティの中に「レジスタンス」という光と影が色濃く残っている事は見落としてはならないだろう。

現在の国旗と各地のコートオブアームス

ウクライナの歴史については、中公新書の「物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書) 」が判りやすい。 2007年に購入した時から必要に応じて繰り返し読んでいたが、旅行前にも改めて確認の意味で精読。 今回の事態の歴史的背景を理解する上ではお勧めだ。
 

(2014/3/2 記)

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注:この博物館にはウクライナ語でしか展示が無かったので理解に誤りが有る部分が有るかもしれない。誤認識については、ご指摘頂ければ幸いです。

2013年8月21日水曜日

サウンドオブミュージック(リージェントパークの屋外ミュージカル)

ハイドパークで屋外ミュージカル「サウンドオブミュージック」を観劇。

天真爛漫なおてんば娘と厳格(そうに見える)貴族との恋愛・結婚という

意外性、子供たちののびやかな演技、少女と青年のほのかな恋愛・・・

1938年のナチスドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)、

という歴史的背景を絡めながら、大人も子供も楽しめるミュージカルや

映画であることはご案内の通りである。



子供の時、映画を見て「なんで内陸国のオーストリアなのに主役が海軍軍人なの?」

という素朴な疑問が、実は今の修士論文につながっている。

日没前の開演時はこんな感じ

アドリア海のリゾートで注目されている、クロアチアの海岸沿いは

第一次大戦が終わるまでは、オーストリア=ハンガリー二重帝国の領土だった。

クロアチアの港町プーラもゆかりの地


 現イタリアのトリエステを含め、幾つかの港は、二重帝国のものであり、

実在の人物である、主人公のトラップ男爵は、アドリア海の都市ザダルで生まれ育ち、

トリエステに移り住んだ後、潜水艦の艦長になった。

(ザダルの解説が有る『世界飛び地領土研究会』のサイトはお勧め)

第一次大戦後に領土を失い、彼ら一家もオーストリアに移り住んだ。 第一次大戦の

エースをナチスの海軍に引き込めば、国威高揚や戦力強化につながる、と

考え、徴募した、という背景があってこそ、このストーリーは生きてくる。

北イタリアの港町トリエステも、オーストリア=ハンガリーだった・・・


 家族で合唱団を作りヨーロッパ各地で好意的に受け取られたが、

友人の借金に起因する、一家破産が背景にあり、生活の為に一家で興行に出た、

という史実の側面もある。


 ハーケンクロイツが掲げられた併合後の「オストマルク」の劇場で

郷土愛に満ちた主人公が「エーデルワイス」を歌う事で、

ナチスに加担しないと言う決意を静かに知らしめる演出は優れたものであろう。

サルツブルグの劇場でのワンシーン(出典)



大戦中にアメリカに逃げ延びた事で、「反ナチ」という政治的な

思惑も有って、彼らの興行が受け入れられた素地も有ると思われるが、

故国オーストリアでは、複雑な受け止め方をされただろう。


 オーストリア併合に、多くのオーストリア人が賛同した事もまた事実であり、

元大統領で国連総長まで務めたワルトハイムのように、戦時中ナチに

積極的に加担した人々もいたこともあり、この時代について国内で議論するのは

一種のタブーでもあるようだ。

 
 華やかなハプスブルグ時代と、その後の苦い記憶がオーストリアの

側面でもある。





このミュージカルは軽妙な音楽とその背景にある歴史の描写、

バランスが取れている。 英語も判り易く、お勧め。

日没後は寒いので、羽織れる物やスカーフなどが有るといいだろう。

エンターテイメントをきっかけに、様々な歴史を知るきっかけになれば、

いいのではないか、と秋の気配を感じながら思う。

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(2013/08/20記)

2013年7月26日金曜日

歴史は繰り返す(ギリシャ編)

 倫敦はパディントンの駅前に旨いギリシャ料理の店が有る(通りの名前もLondon street!)。 

論文作成中、ちょっと気分転換に食べに出かけた。

 疲れた時ややる気が無くなった時は、各国料理を食べに行くのに限る。

ギリシャ料理とはいうものの、他国のメニューも何気にある事が多いので

心配もいらない。 

 旅行先でもギリシャ料理の店に寄る事がある。安くて旨い事が多い。

以前に訪問したドイツのザクセン州ツヴィッカウの旧市街にも旨いギリシャ料理屋が有った。

(Zwickau市役所HPより: Chemnitzの左方向にある)


今回は、印象に残っているこの店の事を書いてみたい。

ウェイターが愛想が良く、気前も良かったので印象的だった。

ギリシャのアルファベットで書かれたレストラン看板
 ダンスしている人たちが、ゆるーい



ツヴィッカウのトラム駅前にギリシャレストランが有る

実は普通の気動車がトラムに乗り入れてくるが、なんと国境を越えてチェコのカルロビバリまで走っている!「三線軌条」もありで鉄道ファンなら楽しい場所の筈。

食前に供された謎の酒、結構うまい


ビフテキ・ツヴィッカウ(?)風

 
ギリシャの美人画が描かれた室内


このツヴィッカウの店では、食前酒や食後酒が振る舞われた。 

 お勘定には独立した請求項目が無かったので、

其々のメニューが高めに設定されているのか、

或いは単にドンブリ勘定で経営しているのかは判らない。


 冒頭のパディントンの店は、頼みもしないのにフルーツ盛り合わせの

デザートが出てきたが、ウェイターに聞くと、「サービスです」との答え。 

テーブルチャージもないので、不思議に思った

有難い様な、不思議な経験だった。


先般訪れた、同じドイツのバイロイト(ワーグナー関係で有名な町)でも

町はずれにあるホテル兼ギリシャレストランンの昼定食が4ユーロ以下だった。

このあたりでは他の料理店でここまで安い例はあまりないだろう。

原価構成等はいったいどうなっているのだろうか。疑問が膨らむ。


 筆者が持っている、ギリシャのステレオタイプなイメージは、

古代建築、オリーブ、出稼ぎ、安くて旨いレストラン、ヨーグルトといったものだ。 
 
 ギリシャの人々には商才はあるのだろうが、組織化・工業化に成功した印象は薄い。


 何といっても2009年に発覚した、

過去の中道政権下による国家単位の粉飾の印象が強すぎる。

実質的な国家破たんに等しい状況は続いている。



 今回、オスマントルコ後の関係諸国の近代化について論文を書いている中で、

19世紀に、オスマン帝国から独立後のギリシャが債務危機に陥っていた事を知る。

歴史は繰り返したのだ。


 第二次大戦後も、共産政権と国王派の内戦が続いたり、

軍事クーデターが起こったりと冷戦下の西ヨーロッパの中でも

不安定な国家の一つであり続けた。



 ちなみにイギリスのエリザベス女王の夫君であるフィリップ (エディンバラ公)は

ギリシャ王家出身だが、エディンバラ公の父上のギリシャ国王は、

もとはと言えばデンマークの王子がギリシャに来て即位したものである。


 ギリシャだけでなく、オスマントルコが分裂して成立した

後継国家のルーマニア、ブルガリアでも、

国外のやんごとなき人(貴族・王族)を受け入れ王政が成立した。


 ことにギリシャでは長い歴史の中で、

西欧の貴族階級的な階級はとうの昔に無くなっていた。

 ギリシャ人同士では仲たがいしがちなので、

王家を外から持って来たほうが列強の関与を担保する理由付けになったり、

独裁が防げたりと何かと「実際的」だったのだろうか。



 ギリシャという国家単位では苦難の道を歩んでいるが、

庶民はしたたかに生きている。


「歴史は繰り返す」とすれば、これからも、

ギリシャに安定した国家が長期間成立する事は難しいだろう。

そして、庶民は統計に表れない所でもしぶとく生き延びる。


したたかな人類の歴史を体現する民族なのかもしれない。 

さすが、ヘロドトスを生んだギリシャ文明の末裔を自称する集団である。

そんな事を考えながら、ギリシャのワインを飲みほした夜だった。


「そんなに遊んでいるとギリシャの二の舞になるよ」と厳しい天の声が

聞こえてきたような・・・・さて、頑張らねば・・・

ギリシャ人のようにしぶとく生きよう!


(2013/07/25記)

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2013年3月13日水曜日

戦中・戦後秘史(ダッハウ、シュタージとアメリカ陸軍の日系人部隊)

 今季のゼミは、ヒトラーの政権奪取期についてのトピックだ。 スターリン、ヒトラーと、イギリス人は「独裁者たち」の研究に余念がない。   クラスの4割を占める女性がゼミをリードしている感がある。 ドイツより中立的に研究できるからなのか、ドイツ系の名前を持つ教授がこのゼミの担当だ。 その中で注目した事実は、「ミュンヘン北西にあるダッハウ(Dachau)に強制収容所が出来たのは1933年である」ということだ。 

 昔、訪問したアウシュビッツと同様に第二次大戦では多くの強制収容所が有ったのは知っていたが、「ナチスの政権奪取と同じタイミングで収容所が出来て政治犯を拘留しはじめた」事実を知ってショックを受けた。

 そこで蓄積したノウハウを各地に横展開しており、ドイツが実践的な事象に対する体系化において他の大陸の諸民族を圧倒している事実を図らずも証明していると実感。 

 ダッハウにはのちにバイエルン王家も収容されたが、ヒトラーあるいは国家社会主義者たちは伝統的な王家や貴族に対して不信感ないし嫉妬を感じていたのだろう。その点においてナチスドイツとソビエトの類似性を指摘することが出来る。どちらも暴力革命・既存の体制打破を肯定していたのだ。

 ナチスの行った暴力行為の大部分について詳細な記録を彼らは残している。彼らは「法にのっとり」行動したのだから、記録に残すのは当然という対応だ。 実行者にとっては「法」に基づいた行動であり、体制が長く続く事を前提においた何よりの証拠である。 

    戦後立法を過去に遡及して適用はできず、時効が成立していれば罪には問われない。が、戦争の記憶を保存するといった、過去の事実を記録・記憶させ続ける努力は凄まじいものがある。

 記録を詳細に行う伝統は東ドイツに受け継がれた。 シュタージ(Stasi 秘密警察)による相互監視の結果は事細かに記録されていた。 これも体制が永遠に続くことを前提とした行政対応の結果である。 




 ベルリンの壁崩壊時に失われそうになったものもあるようだが復元・現在でもシュタージ・アーカイブスにて集中保管されており閲覧できる事が法制化されている。 シュタージについて興味深い映画は「善き人のためのソナタ」がお薦め。

 アーカイブスでは知りたければ、肉親・親戚・友人の誰が自分を監視していた事実を知ることが出来る訳だ。 精神的ショックを受けることを覚悟しても自分の記録を見に行く人が後を絶たない。 「過去はどうであったのかどうしても知りたい」という心理が共通しており現在でもひと月当たり1万人が閲覧するという。 ナチスの犯罪やシュタージの問題等、ドイツの過去への対峙は終わらない。

ベルリン総統地下壕跡付近の案内図
(遺構は聖地にならぬよう埋められた。偶然、ヒトラー自決の日に当地を訪問したが至って平穏であった)


 さて、そのナチスドイツと戦った日系人部隊の事を御存じであろうか? 

 往年のNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」(※)のなかで堤大二郎演ずる青年が収容所の中から出征し、激しい戦闘の末聴覚を失って復員してきたのが日系二世で編成された「第442連隊戦闘団」という部隊だ。
 
 
 ハワイ選出の故ダニエル・イノウエ上院議員もこの部隊の生き残りだった。 米軍の中で最も損害を出し勇猛果敢に戦った部隊である。 イタリアのモンテ・カッシーノでの戦い、ボージュの森でのテキサス大隊救出のエピソード等は知っていた。「442連隊戦闘団―進め!日系二世部隊」が詳しい(アマゾンで調べたらとんでもない値段がついていた)。

  だがこのダッハウ強制収容所の解放に携わったことまでは知らなかった。ダッハウと杉原千畝氏、日系人部隊にであったユダヤ人もいたので、日本とユダヤは思わぬ所でリンクしているということだ。

山河燃ゆ(映像):https://www.youtube.com/playlist?list=PL4B3FFB28F09A4794
 442部隊について(英語):http://www.the442.org/

 極力複数のソースに当たり、客観性を担保しつつながら、戦中・戦後秘史については折に触れて調べていきたい。日本の場合は、義務教育はおろか、高等教育でもこの領域はないがしろにされているからだ。 この領域の知識取得や自らの考えまとめる事をおろそかにしていると他国(他者)に一方的に敗北する可能性がある。 それぞれ個人の国家観は違えども、認識はしておく必要は有るだろう。 どの国家に依拠するものであれ、自国・他国双方の尊重無しにはビジネスも交流も長期的には成立しえないだろう。


 ロンドンのマーブルアーチにある「戦争動物慰霊碑」:イギリスのどこの街に行っても、戦争犠牲者の慰霊碑は街の中心地や一等地におかれている。 ここでは、馬も英雄とされており、献花が絶えない(XX号と名前があるものも居た)。 先般、ファーストフード店での馬肉混入スキャンダルで大騒ぎになったが、イギリスやアイルランドでは馬肉を食すのは一種のタブーであるらしい。 

 「英雄」の同輩を食す、という訳にはいかないのであろう。 馬がダメなら、鹿や牛、果ては鯨はどうなのか? 馬鹿な事言っちゃまずいか・・・(笑)

(2013/03/13記)

※「山河燃ゆ」は山崎豊子「二つの祖国」が原作の昭和59年(1984年)の大河ドラマ。三船敏郎、松本幸四郎、西田敏行、沢田研二、柴田恭平、渡辺謙、大原麗子、島田陽子、多岐川裕美、柏原よしえ等々の当代の人気(或いは後に大成する)、俳優・女優を総動員した感のある重厚な作品だった。 戦争に巻き込まれ敵味方になる兄弟をはじめ、戦争に翻弄される家族、友情、世代間の葛藤等を描いた。 所謂「重い」テーマを扱っていたにもかかわらず、視聴率は21%あった。

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