2012年12月20日木曜日

ラトビア独立記念日祝賀会


      1か月前の1117日、ロンドン(Westminstet Cathedral)で行われたラトビア独立記念日(正式には1118日が記念日)の祝賀会に出席した。
人口2百2十万人のラトビアは、第一次大戦後、ロシア帝国から独立、その後ソ連による併合、第二次大戦においてドイツによる占領、ソ連による再支配、そしてベルリンの壁崩壊後、独立回復という過酷な歴史を経てきた。

ラトビア人の友人が祝賀会に来ないかと誘ってくれた。かねてから外国の独立記念日の祝い方には興味があり、この留学では「お金を払っても出来ない経験」を最優先にして取り組む見地から、渡りに船とばかりに出かけた。

      式典前に到着すると、会場でコーラスの練習をしていた。なんだかアットホームな感じであり、よく見ると友人も動員されていた()

イギリスに住むラトビア人は約4万人(日本人は約6万人)、ロンドンにはそのうち1万人が住んでいるという。2百名程度が参加していた。参加者は4割が60代以上、2割が20代以下と言った構成か。

式は国旗掲揚で始まった。大統領のヴィデオレターが続いて放映される。ロシア語ともドイツ語とも違う響きであるが厳かな雰囲気の挨拶であった。

そして国歌斉唱。初めて聞くが、美しいコーラスは歌の国ラトビアならではのものだろう。
駐英ラトビア大使の短い挨拶が続いた。

次のヨーロッパラトビア協会議長の挨拶は官僚的な長文棒読みで好感が持てず、会場も辟易した雰囲気だった。ヨーロッパでもこんなことがあるのかと逆に新鮮だったりする。

一方でとてもほほえましかったのは、子供たちへの表彰であった。彼ら彼女達もなんだか嬉しそうだ。

そして、続くミニコンサートでは、フルート、バイオリン、ピアノが奏でるラトビア出身の作曲家の作品を堪能した。この方面に明るくないが、調和のとれた演奏に心が癒された気がした。

式典のトリは、コーラスであった。民族衣装を着た男女による伝統的なフォークソングが披露された。地域ごとに曲調が違うようでもあり、無論ドイツやロシア民謡とは全く違うものであった。

式典が終わると、民族衣装を着た人たちはダンスを踊っていた。参加者はワインとおつまみを頂きながら歓談。故あってイギリスに住んでいるラトビア人コミュニティを垣間見て考えさせられるのは、「国家のアイデンティティ」あるいは「国民の定義」とは何であろうと言う事であった。

言語と歌こそが、彼らのアイデンティティの拠り所だろうが、民謡が20万曲もあるのには驚いた。ハンザ都市リガに居たバルト=ドイツ人たちが最初にラトビア民謡について研究を試みた、というのもこの地域の歴史の複雑さを示してる。

日本では「バルト三国」とひとくくりにしてしまいがちだが、各々、歩んできた民族、言語、宗教が異なる。ラトビアは歴史的にドイツ民族と共存してきた時代が長く、一方でロシアに支配を受けてきた。

ロシアとの複雑な関係が故に、旧帝国陸軍はバルト海に面する諸国に注目、対露・対ソという共通の利害を持ち、軍事的協力(主に情報面)を行っていた。ソ連による併合前、「バルト三国」に公使館が設置された理由はここにある(通商関係は殆どなかった)。現在でも各国に大使館を設置している。

      ラトビアを始めとしたバルト三国にソ連軍基地やコンビナートで働いていたロシア人・その子孫の残留問題は各国内での大きな不安要素である。EUNATOに加盟した今でもロシアとの関係は極めてデリケートだ。

一方では、経済進出著しい中国がヨーロッパでの発言力強化のために、「バルト三国」に対し経済協力を始めとして影響力を着々と強めている模様だ。



筆者が2011年8月に首都リガを訪れた際、たまたま、ラトビア軍の記念式典が市内教会で開催されており、各部隊代表が市内を行進していった。式典には米英仏、そして露の駐在武官に加え、人民解放軍の将校の姿もそこにあった。日本国内の混乱をよそに彼の国は着々と各国でのプレゼンスを目に見える形で増やしていると実感した。

      外交は文化・経済だけでない。平時における情報収集・信頼関係醸造のためにも、防衛駐在官(駐在武官)の充実が必要と考える

勿論、戦前の駐独大使(陸軍出身)の様に相手国のプロパガンダを盲信し、国家を窮地に陥れた失敗は繰り返してはならない。いくら頭が良くても語学が出来ても何が出来ても、批判的に物事を見られないとすれば、情報の世界では弊害あるのみである。

常日頃、対立したニュースソースの中から希望的観測を排し現実を直視する事はとても難しい。日本的組織はこの作業が苦手である。なぜなら言霊信仰の国では悲観論は好まれないからだ。

この致命的弱点を中露米英仏は良く知っている。政府・議会・企業とも情報運用する際には肝に銘じて行かねばならないのだが、その覚悟は有るのだろうか。

式典から帰った筆者は苦めのビールを飲み干しながらこんな事を考えていた。

 

苦い話ついでではあるが、ラトビアにも様々なビールがあるので訪問した際はぜひ飲んで欲しい

ロンドンでもハイドパークの傍に「ラトビアクラブ」があり、週末は安くビールを飲めるクラブが開催されている。アジア人は殆ど見かけなかったが隠れたスポットであることには違いないだろう。


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(2012/12/20記)

3 件のコメント:

Erich1970(エリック藤牧) さんのコメント...

ラトビアの友人に確認したところ、この記念式典はLatvian National Guard(郷土防衛隊)の20周年を祝う式典だったとのこと。1990年5月の独立宣言後、ソビエトが独立承認したのが1991年8月21日。郷土防衛隊創設は、ちょうどソ連の独立承認の時期に重なっている。 今でもラトビアは徴兵制をとっており、ロシアの脅威に備えている。

クーシキン さんのコメント...

突然ですが、英仏の駐在武官を増やすべきではないか、との論調も出ていますよ。

http://blogos.com/article/58081/

Erich1970(エリック藤牧) さんのコメント...

クーシキンさん、コメント有難うございます。 英仏での防衛駐在官(駐在武官)に関しては、各自衛隊から派遣するべきでしょうね。 勿論、派遣してすぐ成果が出るものでなく10年単位でのスパンが必要でしょう。
 以前のブログでも書きました「大本営参謀の情報戦記」や、最近出た「消えたヤルタ密約緊急電」等をお読みになると、「長期スパンで考えるべき」、「信用を得るのが最優先」などの点が、ヒントになるかもしれません。そして、「得られるもの」「提供するもの」も考えていかねばなりません。 武器調達とは違う難しさをマネージする事や、他省庁との協力関係促進などを、国民の側も理解してバックアップしていく必要があります。