「盗用」・・・学部時代に論文を書いた事が無い場合は、大学を卒業していてもその意味が判らない可能性が有る。「コピペ」すればいいんだ、という意識で居ると、イギリス(恐らく英語圏全体)ではかなり不味い状況になる。 コピー天国の隣国たちを笑っている場合では無い。
会社員時代にも、人の成果をきちんとした引用なしでコピペして自分のものとして使っていた輩が複数いたのを覚えている。 筆者の名前の所だけ消してあるのは序の口で、『ですます』調に変えたり、フォントを変えたりして印象を変えるとか、その努力は並々ならぬものが有った。
バブル期の大学の中には、「コピペできてナンボのモノ」と豪語している輩も多かったが、昨今、メディアを賑わせている産業スパイよりおめでたい。公言してやる類のものではない筈なのだが。
昨今も、こんな記事が出ていた・・・・
小保方氏20ページすべて「コピペ」? 博士論文でこんなことありえるのか
以前に下の記事で、盗用に関する意識の差を書いたが・・・
参考記事:再利用しにくい日本語の論文PDFとプレージャリズム(盗用)の件
20ページのコピペを見抜けなかったのは、査読する側の力量というよりは、単にチェックする仕組みが無いだけだろう。 査読する人間が、その領域に詳しいからと言って論文を一つ一つ照らし合わせることなど、物理的に不可能だ。
ちなみに自分の過去の論文を引用する際には、やはり「自分の論文」からの「出典」であることを明記しなければならない。このルールを守っていない点も今回の騒動で指摘されているようだ。
イギリスでは全部はチェックできない代わりに、盗用が見つかった場合は、学者として生きていく事を断たれるシステムになっている。
ヨーロッパの列車の検札と同じで、抜き打ちの厳しい検査で、見つかれば懲罰が待っている。 見つからずにやるのも各個人の決断、という突き放したものである。 日本の様に微温的な対応は無い。
そのためか、イギリスの大学の留学生相手にあるオリエンテーションの最初は「引用」のルールと「盗用」に対するペナルティのガイダンスで、折に触れ繰り返し行われる。
では実務的には、いったいどのようにチェックするのか?
イギリスでは、最低限、修士論文をパスするためには社会科学系・人文科学系では下記のチェックが有る。
1.学内データベース・専用データベースに論文をアップロード
2.論文類似チェック(Turnitin.)ソフトによって、データベースとのマッチングする。
3.2.の結果を踏まえつつ、査読者2名によるチェック
ソフトで指摘を受けた場所に対して、適切な出典元などの記載ルールにのっとった「引用」かどうかもチェックする
という流れになる。
論文類似チェックの結果はこんな具合。 提出者には開示されない場合も多い
似たような部分があるとしても、ルールを守って自説補強の為に「引用」されていれば問題ない。査読者は重点チェックをしている。筆者のエッセイも上記の様にチェックが入って「10%類似」と判定が出るので、その個所に「出典」が記載されているかがまずチェックされる。
英語論文であれば、データベース上に「テキスト付PDF」で幾らでもあるので機械的なチェックは容易と推察される。
日本における課題は日本語論文チェックだろう。
元の文章がテキストベースでデータベース・インターネット上にのせられていないと難しい。 単に「画像としてのPDF」ファイルの場合が有るので、テキストマッチングが出来ない。日本語論文の多くは、「コピペ」を防止するためなのか「テキスト付PDF」でアップロードされていないのが現状だ。
皮肉な話ではあるが、英語圏のデータベースにアップロードされているものは、「テキスト付PDF」が多い。「正しい引用」をしてもらう事で、その論文の価値が上がっていくと考えられているからだろう。
「巨人の肩に乗って」という言葉が示す通り、過去の発想の積み重ねの中から新しい知が生まれるという意味で「敬意」の発想でもあるかもしれない。「引用」に対する発想の違いなのかもしれない。
「シュウカツのエントリーシート(ES)をコピペでやるのが王道」とせざろう得ないような状況だと、この手の倫理観は養いにくいのかもしれないが。
各種の大学(院)進学準備コースでもこのガイダンスは行われる。日本国内でも進学準備コースがあるが、このガイダンスを詳細に出来ない講師が居るなら、即座に疑うべきだ。怪しい金儲けの類かもしれない。
国内某社の準備コースで「引用」をきちんと教えられないイギリス人講師が居たので要注意だ。
これからイギリスで論文を書く諸兄諸姉に置かれては、適切な「引用」を心がけて下さい。
(2014/03/14記)
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会社員時代にも、人の成果をきちんとした引用なしでコピペして自分のものとして使っていた輩が複数いたのを覚えている。 筆者の名前の所だけ消してあるのは序の口で、『ですます』調に変えたり、フォントを変えたりして印象を変えるとか、その努力は並々ならぬものが有った。
バブル期の大学の中には、「コピペできてナンボのモノ」と豪語している輩も多かったが、昨今、メディアを賑わせている産業スパイよりおめでたい。公言してやる類のものではない筈なのだが。
昨今も、こんな記事が出ていた・・・・
小保方氏20ページすべて「コピペ」? 博士論文でこんなことありえるのか
以前に下の記事で、盗用に関する意識の差を書いたが・・・
参考記事:再利用しにくい日本語の論文PDFとプレージャリズム(盗用)の件
20ページのコピペを見抜けなかったのは、査読する側の力量というよりは、単にチェックする仕組みが無いだけだろう。 査読する人間が、その領域に詳しいからと言って論文を一つ一つ照らし合わせることなど、物理的に不可能だ。
ちなみに自分の過去の論文を引用する際には、やはり「自分の論文」からの「出典」であることを明記しなければならない。このルールを守っていない点も今回の騒動で指摘されているようだ。
イギリスでは全部はチェックできない代わりに、盗用が見つかった場合は、学者として生きていく事を断たれるシステムになっている。
ヨーロッパの列車の検札と同じで、抜き打ちの厳しい検査で、見つかれば懲罰が待っている。 見つからずにやるのも各個人の決断、という突き放したものである。 日本の様に微温的な対応は無い。
そのためか、イギリスの大学の留学生相手にあるオリエンテーションの最初は「引用」のルールと「盗用」に対するペナルティのガイダンスで、折に触れ繰り返し行われる。
では実務的には、いったいどのようにチェックするのか?
イギリスでは、最低限、修士論文をパスするためには社会科学系・人文科学系では下記のチェックが有る。
1.学内データベース・専用データベースに論文をアップロード
赤字内は本文の類似可能性を示す%表示
2.論文類似チェック(Turnitin.)ソフトによって、データベースとのマッチングする。
3.2.の結果を踏まえつつ、査読者2名によるチェック
ソフトで指摘を受けた場所に対して、適切な出典元などの記載ルールにのっとった「引用」かどうかもチェックする
という流れになる。
論文類似チェックの結果はこんな具合。 提出者には開示されない場合も多い
似たような部分があるとしても、ルールを守って自説補強の為に「引用」されていれば問題ない。査読者は重点チェックをしている。筆者のエッセイも上記の様にチェックが入って「10%類似」と判定が出るので、その個所に「出典」が記載されているかがまずチェックされる。
英語論文であれば、データベース上に「テキスト付PDF」で幾らでもあるので機械的なチェックは容易と推察される。
日本における課題は日本語論文チェックだろう。
元の文章がテキストベースでデータベース・インターネット上にのせられていないと難しい。 単に「画像としてのPDF」ファイルの場合が有るので、テキストマッチングが出来ない。日本語論文の多くは、「コピペ」を防止するためなのか「テキスト付PDF」でアップロードされていないのが現状だ。
皮肉な話ではあるが、英語圏のデータベースにアップロードされているものは、「テキスト付PDF」が多い。「正しい引用」をしてもらう事で、その論文の価値が上がっていくと考えられているからだろう。
「巨人の肩に乗って」という言葉が示す通り、過去の発想の積み重ねの中から新しい知が生まれるという意味で「敬意」の発想でもあるかもしれない。「引用」に対する発想の違いなのかもしれない。
「シュウカツのエントリーシート(ES)をコピペでやるのが王道」とせざろう得ないような状況だと、この手の倫理観は養いにくいのかもしれないが。
各種の大学(院)進学準備コースでもこのガイダンスは行われる。日本国内でも進学準備コースがあるが、このガイダンスを詳細に出来ない講師が居るなら、即座に疑うべきだ。怪しい金儲けの類かもしれない。
国内某社の準備コースで「引用」をきちんと教えられないイギリス人講師が居たので要注意だ。
これからイギリスで論文を書く諸兄諸姉に置かれては、適切な「引用」を心がけて下さい。
(2014/03/14記)
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2 件のコメント:
はじめまして
私、北東イングランドのNewcastle Universityで正規留学生として(学士課程)
政治学を勉強しているものです。
以前からこちらへは何度か立ち寄らせてもらって、
その度に色々と参考にさせていただくのは勿論,勉強させてもらっていました。
恐れ多くも今回こうしてコメントさせてもらったのは、
日本の博士号学者による盗作所謂plagiarismということで
英国の大学に通う自分にとっても特に気になるトピックだと
思ったことからです。
私事ではありますが、
日本の大学教育を知らず高校卒業からそのまま渡英してる自分にとって
大学での論文とは『先人方の理論を助けにして己の意見を
developingさせるためのもの』と捉えておりました。
Undergraduate課程前のFoundation courseの時ですらTurnitinを使用して
更にCrossed markということで査読は最低2名以上の先生方によるものだったこともあり,大学教育以上ではこれが当たり前だと思っておりました。
それなので、今回のこのニュースとこちらの記事でまた色々と(特に日本での大学事情等)勉強させてもらったのと同時に大学,大学院教育について考えさせられた気がします。
学士1年目のひよっこで博士は愚か修士にすら至らない自分が
申し上げるのもなんですが
欧米圏では特に血反吐を吐く様な地道な努力を必要とする
修士号は勿論博士号の重みと価値を日本でも最認識してもらいたいですね。
稚拙な長文かつ乱文失礼しました。
また今後もこちらのブログ勝手ながらも楽しみにしています!
桜/撫子さん
コメントありがとうございます。
高校から直接、Newcastle Universityに行かれたのは一生心に残るものでしょう。どうか、目一杯学び遊び、そしてあちこちを旅して見て下さい。
恐らく、大学卒業後、日本に帰ってくるとギャップが有るかもしれません。日本の大学でもきちんとしている学校が多いと信じたいですが、大規模な学校の場合、人手だけで論文をチェックするのは難しい。それが故に論文書かなくても学位取ることが出来る大学が沢山ありました。
2名以上の査読は学生と指導教授の癒着を防ぐ性悪説に基づいています。そしてイギリスの大学は、国立といえど独立採算制なので、評判を保ちつつEU圏外の2倍以上の学費を払ってくれる留学生を確保したい。故にプレージャリズムに関して厳しい指導をしていると思われます。
Foundation courseでもプレージャリズムについて教えているのは、それだけ「コピペ」の誘惑が有るからだと思います。 インド出身の法学修士課程に居た知人が、出典の記載漏れで「プレージャリズム」警告を受け、その科目のゼロ評価を受けた事を直接聞いています。
広義に考えると、コピーに関しアジア圏は特にマークされています。IELTS試験を受けられたかもしれませんが「替え玉防止チェック」が年々厳しくなっているのも同じ文脈です。最初に受けた時は指紋認証などなかったのですが、今は指紋認証と顔写真(そのうち瞳孔もなるでしょう)がありますね。
試験が移民要件になる場合もあるのでしょうが、比較的チェックの緩かった日本に来て受験した「一部の国の人々」向けの対策、ということもあったやに聞いています。
話がそれましたが、低コスト大量生産の面では勝ち目のないヨーロッパやアメリカは知的財産の基準を厳しくして生き残る戦略を取っています。 ご存じの通り、中国大陸ではコピー天国で「有用なものはコピーして当然」という価値基準で、今も様々なせめぎ合いがあります。
日本はその狭間にあり、一旦「コピペ」天国と目されてしまうと、高コスト化して競争力が落ちてきたなりふり構わない国、というレッテルを張られかねません。 知的財産の面で日本が不利になる事が懸念されます。
私も修士論文は1カ月、寮で缶詰になり集中して書きましたが、後から考えるといい思い出です。勿論、余裕が有ればこんな苦労は無くても良いですが(笑)。
私のブログが役立つ所が有れば、引き続き笑読下さい。 お互いに頑張りましょうね!
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