2012年11月7日水曜日

授業(レクチャー&セミナー)の日英比較

 

「留学までの道のり」についてはネット上でも本でも情報があるのだが、実際の授業について、特に「歴史学をどう学ぶのか」という情報が少なかった。また、結論から言えば、日本語で学ぶ過程でも議論を重視し論文課題をこなしたうえで、「ディベート授業が主体の現地プレセッショナルかファウンデーションに通ってから現地の大学院に進学した方が良かった」のではないかというのが、今の率直な感想だ。これらの点は、予め学校選び等の際に突っ込んで確認したほうがよいかもしれない。

授業のシステムをイギリスと日本と比較して見ると以下の通り。

 この大学院では「歴史学をこの大学で学ぶ上でのフレームワーク」という必須科目が最初のレクチャーとセミナー(日本でいうゼミ)のセットで構成されている。
 教授一人ひとりの出身大学・専門分野・見解に相違はあるのであろうが、 この場で幾つかの大きな論点を提示・共有しようとするものだ。こうすれば、理解度の差はあれ、専門外の人間でも一通りのキーワード・概念は共有できる訳だ。 ひょっとすると、このアプローチは欧州各国の教育制度と学習プログラムのチューニング(調和)を図るプロジェクトと関連するのかもしれない。 

 日本での学部(経済学)時代に「縦串・横串」を指す体系紹介が提示されなかっただけに新鮮であった。当時は、理論経済学以外では相互の授業の連関は重視されていなかった。自分でストーリーを作りコーディネートする訓練は出来たが、一方で毎年同じ講義内容の退屈かつ一方的な授業があったことも事実だ。
 特にバブル期は「単位が取りやすい授業か否か (毎年同じテスト問題 or 出席重視)」が授業選択のトレンドで、論理力ではなく情報収集の訓練と化していた。天の邪鬼の筆者は、これが嫌で「論文テスト一発勝負」の授業を好んで取った。数学と語学と体育以外は、数冊関連書籍を一気に読破したうえでロジカルに作文すれば授業に出ずとも単位取得が出来た。その過程で自分なりの価値判断のヒントは得た訳で、過去問を覚えて直ぐ忘れるよりは良いだろう。さらにゼミや卒論は卒業の要件でなかったので、同じ学部でもこれらの選択如何により、全く異なる学生が量産されていた。 

 公務員や司法・会計士試験等に注力する場合には都合が良かったのだろうが、ゼミや論文が無いならば専門学校と何が異なるのかは、はなはだ疑問である。
 学生時代にゼミや論文に注力して本当に良かったと思っている。特に輪読形式でなく個人テーマ別でのゼミだった故に、プレゼンと議論主体で専門外の領域でも相手を論破する重要性を学んだ。個々人の感情とその思考を切り離し、存在を認め合う訓練にもなった。 何よりも、自分なりに知識の体系化を続けるきっかけを得た事は大きい。当時のゼミの指導教官(故 斎藤優教授)には感謝している。

 話がそれたので、イギリスの話に戻そう。

 レクチャーは階段教室で行われる。歴史を学ぶ上での共通の切り口をテーマ別(国家、革命、移民・・・)に、学部に所属する教授達が分担して教える(ここにセミナーを担当する各教授も皆出席)。その後、それぞれの専攻別(中世史、現代史、ジェンダー史・・・色々)に別れ、自分たちに関連する領域とテーマにあてはめ、セミナールームで議論を行うというスタイルになっている。
 セミナーでは、問題提起、質問や意見を述べ合い、議論を発展させる事が推奨されるが、意見収斂型の議論ではなく、ややもすると意見拡散型の傾向があり、企業に長く所属していた筆者は正直、戸惑っている。自分の立ち位置を上手く表明させることに主眼が置かれているようだ。「成果・意味・対案がなければ言う意味が無い」というロジックで思考していると、なかなかこれがやりにくい。 勿論、正解の出しようが無い(学説の論理的妥当性・状況適応という意味での多数派形成はありうるだろうが)。

 勿論、知識を披露する場ではなく、個々人の思想の披歴、抽象的な議論になっていくので、英語でやり取りするのが段々きつくなってくる。 「目標に至るための議論(経理や工業技術)」であれば、抽象論に走りすぎていても「理解するための具体例の提示」「効果的な結論」を促すように議論をコントロールできる面では楽なのだろうな、と思った。 

 これらの進行スタイルは、日本で想像していたスタイルとはやや異なるものであった。小生は、メソドロジーを共有する必要性は感じていたが、およそ専門外になるであろう分野(例:ジェンダー史)のアプローチまでは学ぶとは想像がつかなかった。どうやら「差別是正」という教育方針が各大学に課せられているらしく、学位を量産する以上は、これらを教育しない訳にもいかないのであろう。

 目下、悔しいのは、議論の中でネイティブが知的レベル的には大した事を言っていないのが判っても、英語でパンパンそれが出てこないもどかしさである。単なる英会話ではなく、英語で議論を戦わせるディベートの訓練を定期的に続けていないとこれはきつい。
 小生も正味3カ月ほど日本でディベート(週2時間)を含むプレセッショナル(週30時間)に通ったが到底足りない(新宿にあるB社のコース)がコスパが良かったのかどうか微妙。

 後を目指す諸兄諸姉に置かれては、留学しようと漠然とでも考えているならば、まずは日本語でも議論をベースとした授業やゼミ、論文課題をこなしておくことを強く勧める。企業でもその経験が議論をリードする上で役立つ。
 その上で、ディベート授業が主体の現地プレセッショナルかファウンデーションに通ってみるのをお勧めする(残念だが小生も現時点では具体的情報を持ち得ていないが、一般の語学学校にはディベートを行うチャンスが無いので注意)。
 英語でのディベートを日本国内で日本人同士でやる場合、議論が受身がちに陥るリスク、議論を続けるタフさ加減に左右されてしまうリスクをどうヘッジするのかが課題だろう (無論、英語レベル差も大きいだろうが)

 長々と書いたが、後に続く皆さんの成功を祈る。
 写真は本文とは全く関係ないがエコな感じの着ぐるみミニカーを発見。
何気ないジョークを街中で発見できるのも、ヨーロッパの魅力なのかもしれない。日本でやると道交法違反になっちゃうのかな?

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(2012/11/06)

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