本日8月15日は日本でいう「終戦記念日」、
イギリスでは「対日戦勝記念日」。
日本敗戦を降伏文書調印日としてアメリカ等では「9月2日」をVJ-dayと
しているケースもある。
30年ほど前までは、これらの日に、日本人が外出しない様
自粛していたと聞いたことが有る。
最近でもこういったアナウンスがあったらしい。
少なくとも、交戦国の当事者が存命である事には
留意する必要が有る。
先の大戦で死傷した全ての将兵・市民に黙祷を捧げながら、
日本の大学まででは余り教育されない
イギリスと日本の知られざる関係も含めてトピックを幾つか取り上げたい。
<日英交流が始まって400年>
1613 年の夏、東インド会社のクローヴ(Clove)号が長崎、平戸に
来訪した事から数えている。この船はイギリス国王からの親書を
携えていた事により、1600年に三浦按針がオランダ船に
乗ってきた以降の年号となっている。
これを記念したサイトは日英版あり(こちら)
<日英同盟>
1902年に締結した軍事同盟。狙いは対ロシアけん制。
第一次世界大戦では、チンタオのドイツ拠点の攻撃、地中海への
旧帝国海軍の艦艇派遣につながった。結果として、太平洋の旧ドイツ植民地を
委任統治する事になった。パラオ、サイパン、トラック諸島に
日本が展開した背景、今も「観光に行きやすい」という
結果をもたらしている。
この事でアメリカの太平洋戦略と真っ向から衝突。すでに
大正時代からアメリカは日本との軍事衝突を予期して準備を開始していた。
1923年、アメリカの思惑によりワシントン会議による
日本・英国・米国・フランスとの4ヵ国条約締結の結果、
日英同盟失効に至る。
結果として、第二次大戦後、日英両国とも太平洋での
権益を大きく失った
※伝統的にドイツは戦略的・実利的には中国重視する傾向が有る。
ナチスドイツとの同盟直前まで、国民党政権に軍事顧問団を
送っていた事に留意。
<第二次大戦 太平洋における戦い 1941~1945>
日本との関係が順風満帆ではなかった。第二次大戦では敵として
戦闘を行った。日本によるシンガポール陥落を契機として、イギリスの
極東における覇権は地に落ち、「パックスアメリカーナ」にバトンタッチする
経緯となった。特に非白人により、巨大戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を
撃沈された英国民は大きなショックを受けている。
<アーロン収容所 ~1947>
イギリス階級社会の断層を日本人インテリが捕虜となった
一平卒の視点で描く。特に階級社会に関しての記述は今の日本人は
萎縮して書かない分だけ貴重だ。
著者は戦後、京大教授となった会田雄二氏。 クールな視点と
何気ないユーモアを感じる事が出来るかもしれない。
突飛だが、この本と、軽妙な日常を記したブログ「イギリス毒舌日記」に
書かれたイギリス人やオーストラリア人が見事に符合するので、
どちらも一読を勧めたい。一方ではこの本を批判した批評もあるので、
公平を期して紹介する。
<文庫版>
<新書版>
<1971年昭和天皇ヨーロッパ訪問>
「1971年の昭和天皇のヨーロッパ訪問の際には、天皇は、「捕虜に強制労働をさせて、泰緬鉄道の建設を行なった政府の同じ天皇」(『ガーディアン』1971年10月8日付)と非難されました。」
「また、エリザベス女王の夫君フィリップ殿下の叔父で、はげしい対日戦線がくり広げられたビルマで東南アジア連合軍最高司令官をつとめ、1947年に伯爵に叙されたマウントバッテンが、天皇との面会を取り消して英国の大衆の喝采を浴び、昭和天皇が英国で植樹した木を何者かが引き抜くという事件も起きました。」
「昭和天皇の重体報道・崩御の際にも、とくに英国では大衆紙を中心に辛らつな批判が繰り広げられました。1995年の「対日戦勝50周年」――日本代表が英国政府主催の平和と和解の式典に招待されることはありませんでした。」
というくだりは、チェックしておいてよいだろう。
出典:http://blogos.com/article/68027/?axis=&p=2
ちなみに、オランダでは、より組織的にこのような反日デモが今でも組織されている。
<未来志向の日英同盟>
現代に、新たな「日英同盟」の在り方を研究しようと言う研究機関が
創設された。RUSI Japan。
この秋にアンドルー王子が来日、「日英両国の防衛・外交の当局者や防衛産業関係者のほか、安保問題の専門家らが出席。東京で2日間にわたり、日英安保の枠組みのあり方や、防衛装備品の共同開発、サイバー・セキュリティー、英国の情報活動などについて意見交換する」とのことである。
(出典:http://sankei.jp.msn.com/world/news/130424/erp13042413360004-n1.htm)
<未来>
大規模な総力戦を引き起こさないためのあらゆる努力は必要。
チェンバレンのような融和外交の失敗や、第二次大戦における
日本の情報軽視による敗北。その教訓を忘れてはならない。
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(2013年08年14日 ポツダム宣言受諾通告の日(終戦記念日の前日)に記す)
イギリスでは「対日戦勝記念日」。
日本敗戦を降伏文書調印日としてアメリカ等では「9月2日」をVJ-dayと
しているケースもある。
30年ほど前までは、これらの日に、日本人が外出しない様
自粛していたと聞いたことが有る。
最近でもこういったアナウンスがあったらしい。
少なくとも、交戦国の当事者が存命である事には
留意する必要が有る。
先の大戦で死傷した全ての将兵・市民に黙祷を捧げながら、
日本の大学まででは余り教育されない
イギリスと日本の知られざる関係も含めてトピックを幾つか取り上げたい。
<日英交流が始まって400年>
1613 年の夏、東インド会社のクローヴ(Clove)号が長崎、平戸に
来訪した事から数えている。この船はイギリス国王からの親書を
携えていた事により、1600年に三浦按針がオランダ船に
乗ってきた以降の年号となっている。
これを記念したサイトは日英版あり(こちら)
<日英同盟>
1902年に締結した軍事同盟。狙いは対ロシアけん制。
第一次世界大戦では、チンタオのドイツ拠点の攻撃、地中海への
旧帝国海軍の艦艇派遣につながった。結果として、太平洋の旧ドイツ植民地を
委任統治する事になった。パラオ、サイパン、トラック諸島に
日本が展開した背景、今も「観光に行きやすい」という
結果をもたらしている。
この事でアメリカの太平洋戦略と真っ向から衝突。すでに
大正時代からアメリカは日本との軍事衝突を予期して準備を開始していた。
1923年、アメリカの思惑によりワシントン会議による
日本・英国・米国・フランスとの4ヵ国条約締結の結果、
日英同盟失効に至る。
結果として、第二次大戦後、日英両国とも太平洋での
権益を大きく失った
※伝統的にドイツは戦略的・実利的には中国重視する傾向が有る。
ナチスドイツとの同盟直前まで、国民党政権に軍事顧問団を
送っていた事に留意。
<第二次大戦 太平洋における戦い 1941~1945>
日本との関係が順風満帆ではなかった。第二次大戦では敵として
戦闘を行った。日本によるシンガポール陥落を契機として、イギリスの
極東における覇権は地に落ち、「パックスアメリカーナ」にバトンタッチする
経緯となった。特に非白人により、巨大戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を
撃沈された英国民は大きなショックを受けている。
<アーロン収容所 ~1947>
イギリス階級社会の断層を日本人インテリが捕虜となった
一平卒の視点で描く。特に階級社会に関しての記述は今の日本人は
萎縮して書かない分だけ貴重だ。
著者は戦後、京大教授となった会田雄二氏。 クールな視点と
何気ないユーモアを感じる事が出来るかもしれない。
突飛だが、この本と、軽妙な日常を記したブログ「イギリス毒舌日記」に
書かれたイギリス人やオーストラリア人が見事に符合するので、
どちらも一読を勧めたい。一方ではこの本を批判した批評もあるので、
公平を期して紹介する。
<文庫版>
<新書版>
<1971年昭和天皇ヨーロッパ訪問>
「1971年の昭和天皇のヨーロッパ訪問の際には、天皇は、「捕虜に強制労働をさせて、泰緬鉄道の建設を行なった政府の同じ天皇」(『ガーディアン』1971年10月8日付)と非難されました。」
「また、エリザベス女王の夫君フィリップ殿下の叔父で、はげしい対日戦線がくり広げられたビルマで東南アジア連合軍最高司令官をつとめ、1947年に伯爵に叙されたマウントバッテンが、天皇との面会を取り消して英国の大衆の喝采を浴び、昭和天皇が英国で植樹した木を何者かが引き抜くという事件も起きました。」
「昭和天皇の重体報道・崩御の際にも、とくに英国では大衆紙を中心に辛らつな批判が繰り広げられました。1995年の「対日戦勝50周年」――日本代表が英国政府主催の平和と和解の式典に招待されることはありませんでした。」
というくだりは、チェックしておいてよいだろう。
出典:http://blogos.com/article/68027/?axis=&p=2
ちなみに、オランダでは、より組織的にこのような反日デモが今でも組織されている。
<未来志向の日英同盟>
現代に、新たな「日英同盟」の在り方を研究しようと言う研究機関が
創設された。RUSI Japan。
この秋にアンドルー王子が来日、「日英両国の防衛・外交の当局者や防衛産業関係者のほか、安保問題の専門家らが出席。東京で2日間にわたり、日英安保の枠組みのあり方や、防衛装備品の共同開発、サイバー・セキュリティー、英国の情報活動などについて意見交換する」とのことである。
(出典:http://sankei.jp.msn.com/world/news/130424/erp13042413360004-n1.htm)
<未来>
大規模な総力戦を引き起こさないためのあらゆる努力は必要。
チェンバレンのような融和外交の失敗や、第二次大戦における
日本の情報軽視による敗北。その教訓を忘れてはならない。
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